文化 【特集】山県大弐生誕300年─志は今に、未来に─
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- 発行日 :
- 自治体名 : 山梨県甲斐市
- 広報紙名 : 広報甲斐 令和7年9月号
■山県大弐とは何者か
山県大弐は、江戸時代中期の思想家であり、儒学や兵学、医学のみならず、天文学や音楽にも精通した大学者です。
彼は江戸で医者をしながら塾を開き、多くの門弟に幅広い分野の学問を教えるとともに、代表作である『柳子新論』を書き上げました。その中で尊王論等を説き、幕府の腐敗を批判したことから、刑に処されてしまいました(明和事件)。
■『柳子新論』
十三編からなるこの書物は、儒学に基づく政治の原理を掲げて、当時の政治や社会状態の問題点を指摘したものです。
「政治組織や法の秩序を名目だけでなく、その実態に合わせて正さなければならない」「乱れてしまった礼儀や習わしを改善するためには、本来あるべき格好や礼節などを気に掛けることが重要である」などと論じています。大弐は人々のより良い生活を第一に考え、『柳子新論』をとおして乱れた社会環境の改善を求めたのです。
しかし同時に、天皇の権威を認め、幕府ではなく朝廷が政権を担うべきであるという「尊王論」等を掲げたため、幕府からは危険視されてしまいます。
■後世につながる意志
明和事件の結果、巻き添えを恐れた関係者らによって大弐の著書や書物などが失われてしまいます。しかし、完全に失われてしまったわけではなく、彼の思想は後世へとつながっていきます。
幕末に松下村塾を継いだ吉田松陰は、大弐が遺した『柳子新論』に影響を受けたといわれています。また、明治時代になると、大弐の尊王家としての実績が認められ、吉田松陰らと同じ正四位という位が贈られました。
大弐は罪人として生涯を終えましたが、現在は江戸時代中頃に活躍した学者として再評価されるようになりました。広い見識に基づく考え方は、現代に通じる部分が多くあるほどに先進的で倫理観に優れたものだったのです。
■現代に息づく大弐の精神~「大弐学問祭」が伝える思い~
○あおばこども園の子どもたち
大弐学問祭で論語を暗唱します。
・大きな声で発表したいと思います! あいりさん
・パパとママに聞いてもらいたいです♪ しずくさん
・みんなで力を合わせてがんばります☆ たいしさん
■第40回大弐学問祭
山縣神社周辺を会場に、学問成就祈願や仮装行列、神輿の渡御等が行われます。
飲食ブース、キッチンカーの出店が行われ、にぎやかなお祭りをお楽しみいただけます。
今年は山県大弐生誕300年!ぜひお越しください。
日時:9月23日(火・祝) 正午〜午後5時
※雨天決行
場所:山縣神社とその周辺
※当日、会場周辺は交通規制を行います。会場周辺にお住まいの人、道路利用者にはご迷惑をお掛けしますが、ご理解、ご協力をお願いします。
駐車場:ラドン温泉ホテル「湯〜とぴあ」裏側駐車場
・国道20号下り線を甲府市方面から韮崎市方面へ直進し、ラドン温泉の先を左折
・カーナビをご利用の人は施設名もしくは施設住所(富竹新田1300‒1)をご登録ください。
※左折箇所(国道20号沿い)に駐車場看板を設置します。
※スケジュール等の詳細は、市ウェブサイトをご覧ください
問い合わせ:大弐学問祭実行委員会事務局(市民協働推進課)
【電話】055-278-1704
■大弐の遺志が拓く甲斐市の明日
●学びと公共の精神の継承
山県大弐の学問への探求心や、より良い社会を目指した公共の精神が、現在の甲斐市の教育活動や生涯学習にも影響を与えています。
○教育活動
大弐書道展や小学校の社会科副読本、竜王地区の小・中学校の校歌の歌詞など
○生涯学習
山県大弐を題材としたミュージカル公演や市民講座、子ども向けの紙芝居を実施
●郷土の誇りと私たちの未来
山県大弐はこの甲斐市に生まれ、この地で思想の礎を築きました。幼少期から塾に通って儒学や兵学などを学んだり、甲府城に勤務しながら仲間に教えを受けたりするなど、彼が持つ見識の源流は山梨にあります。
彼が懸命に学び、理想を追求した姿は、私たちの「郷土の誇り」です。
私たちは、郷土の偉大な先人を知ることで、自分たちのルーツを見つめ直し、「甲斐市民であること」のアイデンティティを再確認することができます。郷土への誇りや愛着は、地域への貢献意識にもつながっていきます。山県大弐が社会のより良い姿を思い描いたように、私たちもまた、自分たちの住むまちをより豊かに、より魅力的な場所にしていこうという意欲が湧き上がってはきませんか。
彼の遺志は、過去の物語としてだけではなく、現代に生きる私たちの郷土愛を育み、未来へと続く甲斐市の「まちづくり」を力強く推進する源になっているのです。
■山県大弐は何者だったのか
今回の特集では、ふるさとの偉人である山県大弐について取り上げました。
今から300年も前に生まれた大弐は、幼いころから勉学に励むことで見識を広げ、さまざまな分野の学問を多くの人に教えました。それと同時に、当時の社会情勢や庶民の苦しい生活を憂い、人々の幸せを願っていました。彼が遺した志は、時代の大きな流れを乗り越え、現代にも受け継がれています。
波乱に満ちた一生を送りながらも、人のために尽くした大弐の生き方に目を向け、今一度私たちの明日を考えてみましょう。