- 発行日 :
- 自治体名 : 山梨県山中湖村
- 広報紙名 : 広報やまなかこ 令和7年7月号
■山中地区の石造物群(2) ―村道山中26号線入口付近―
山中26号線というと分かりづらいですが、まるよし肉店の裏の道と言えば分かりやすいのかもしれません。現在通行できませんが、この道はかつては重要な道でした。この場所は、路傍に19体の石造物が置かれています。この内訳は、馬頭観音という文字だけ彫られたものが10体、馬頭観音の姿を浮き彫りにしたものが8体、何も彫られていない石だけのものが1体です。江戸時代のものは6体あります。古い順に宝暦13年(1763年)、宝暦年間、明和6年(1769年)、天明5年(1785年)、文化2年(1805年)、安政6年(1859年)です。このうち、明和6年のものは相州川西村の人が建てています。相州川西村とは、現在の神奈川県山北町の川西地区です。川西村は、戦国時代に川村新城があり平野の人々が小田原方面に物資を運んだ時に通過しましたし、慶長13年(1603年)に川西村塩沢の馬丞の供養を平野村の後藤彦衛門が高野山で行っています。川西村は、古くから平野村と関係がありました。川西村の人が山中村にどういう理由で来たのか分かりませんが、連れていた馬が死んだので、供養のため馬頭観音像を建てたことは間違いありません。村道山中26号線は、今ではほとんど通れない道ですが江戸時代中頃には、籠坂峠に向かう重要な道だったと思われます。だから、この場所に川西村のものを含めて多くの馬頭観音石像があるのでしょう。
もう一点、注目すべき点があります。山中地区の馬頭観音像の多くは、柔らかい表情で拝む人の心を包み容れる雰囲気を持っています。しかし、19体のうちの右の一体は、厳しい表情をしています。本来、馬頭観音は、馬頭明王とも呼ばれ観音の憤怒形です。怖い表情をしていても不思議ではありません。馬の守護仏、家畜の守護、交通安全のご利益が期待されています。怒った表情は、人々の煩悩を断ち切るためと言われ、畜生道に落ちた衆生を救います。馬の頭を付けているのは、馬が草を勢いよく食べ尽くすように人々の煩悩を食べ尽くし、災難を取り除いてくれるからだとも言われます。右の一体は、本来の馬頭観音の特徴をよく表しているものです。この石像が彫られた年代は分かりませんが、山中地区では比較的古い時期だろうと推測されます。