くらし 終戦80年の節目に 湖西市と戦争

日中戦争(1937~1945年)と太平洋戦争(1941~1945年)が終結してから、今年でちょうど80年が経ちます。現代を生きる私たちにとって、戦争は遠い過去の出来事のように感じられるかもしれませんが、実際には今も世界の各地で紛争が続いており、決して過去のことではありません。
今回、戦時中の暮らしや戦争の悲惨さについて、特集します。
戦後80年という節目に、過去を振り返り、平和について改めて考えてみませんか。

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『戦争と新居町民の体験した太平洋戦争』1,000円
文化観光課の窓口でお買い求めいただけるほか、中央図書館・新居図書館で貸し出しもあります。

・寄せ書きされた肌着
出征する兵士の生存と幸運を願い、近所の人々が寄せ書きを行った肌着です。多くの人が一針ずつ糸を縫い込んだ「千人針」も、お守りとして作られました。

・出征兵士の見送り
父や夫、息子に「戦争に行かないでほしい」とは言えない時代であり、涙をこらえながら見送ることしかできませんでした。

◆民間人の動員
戦時中、多くの民間人が徴兵されました。その中には、戦闘や病気によって戦地や軍病院で命を落とした人も多くいました。召集令状である「赤紙」が父親や息子、夫に届くと、家族は悲しみを胸に押し込めて、ただ見送ることしかできませんでした。働き盛りの男性が戦地に送られたため、工場では働き手が不足しました。それを補うため、女性や中学生以上の子どもたちが軍の物資を生産する工場に徴用され、浜松や豊橋、豊川など各地に送られました。しかし、派遣先の工場で空襲に遭い、命を落とされた人もいました。湖西市から徴兵や徴用された人のうち、終戦までに1,000人以上が命を落とされました。

◆湖西を襲った空襲
1945年(昭和20年)になると、民間人を狙った空襲が何度も行われ、1月7日には新居町三ツ谷地区に、5月20日には岡崎小学校周辺に爆弾が投下されました。7月9日には、アメリカ軍機による民間人への無差別銃撃が行われました。浜名湖の漁師と新居町の国民学校の児童が標的にされ、入出村と新居町の漁師2人、さらに高等小学校(現在の中学校)1年生1人の命が奪われました。また、同月24日には遠州灘で鰹(かつお)漁船が戦闘機の銃撃を受けて遭難しました。数人は漂流の末、救助されましたが、多くの乗組員はそのまま行方不明となりました。当時の人々は、いつ頭上から爆弾が降り注ぐのか、いつ戦闘機が銃撃してくるのか分からない恐怖の中で、日々を過ごすしかありませんでした。

・新居を襲った艦砲射撃
太平洋上の戦艦から新居町へ向けて砲撃が行われました。闇夜に飛び交う無数の砲弾に、住民たちは恐怖しました。

◆浜名海兵団と艦砲射撃
1944年(昭和19年)、新居町住吉地区に浜名海兵団が置かれました。浜名海兵団は、海兵の養成と、海・空からの敵襲に備えるという任務を担っていました。防御を固めるために海兵団が置かれたことで、皮肉なことに新居町は攻撃の対象となりました。特に1945年7月29日の艦砲射撃はすさまじく、海上の戦艦から400発もの砲弾が撃ち込まれ、海兵団員67人が命を落としました。激しい砲撃は海兵団だけでなく、周辺の田畑や住居、新居町駅などにも大きな被害を与え、橋本地区では民間人2人が命を落としました。海兵団では艦砲射撃に加えて、勤務中の事故や病気などで、最終的に140人以上が命を落としました。

・浜名海兵団戦没者慰霊碑
新居交通公園の中に今も佇たたずむ戦没者を弔う慰霊碑

◆戦中・戦後の暮らし
戦時中、食料や調味料、衣類など、生活に必要なものは配給制となり、決められた量が配られました。しかし十分な量はなく、戦争が長期化するにつれて配給量は減少。特に食料不足が深刻で、ジャガイモやサツマイモなどのわずかな食料を求めて、新居から白須賀・豊橋まで買い出しに行く人も大勢いました。塩が不足したため、自ら海水を煮詰めて塩を作った家庭もありました。戦争が終結しても食糧事情は改善せず、むしろ悪化。配給も全く足りず、闇市や農家の知り合いを頼って何とか食料を得る日々が続きました。田んぼのイナゴやタニシ、野草などを食べることもありました。戦後直後を学生として過ごされた人は、当時のことをこのように振り返っています。「終戦後の生活で一番苦しかったのは食料不足。戦時中もそうでしたが、戦後の方がひどかったと思います。食事はどろどろのおかゆで、刻んだキャベツが少し入っており、味付けは醤油ではなく塩で、まるで病院食のようでした。忘れもしませんが、私たちはみんな栄養失調の寸前でした。階段がだるくて上がれず、寮生は一時、体育の授業もできませんでした。」

市民の皆さまからお寄せいただいた体験談や写真によって、湖西市の歴史は現代へと紡がれてきました。戦前や戦時中、戦後直後の写真やフィルムを処分しようと考えている人。捨てる前に文化観光課へご相談ください。その写真が、新たな湖西市の歴史になるかもしれません。

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