くらし 特集 戦後80年 つなぐ 記憶と想いのバトン(3)

3.想いをつなぎ 未来を創る

語られなければ、消えてしまう「あの日」の記憶
今、受け継ぐときです

戦争で父を亡くした平松とみさんは、これまで家族に当時のことを詳しく語りませんでした。しかし、戦後80年という節目に、孫の辰規(たつき)さんへその記憶を語りました。

◇伝えたい父のこと
私の父・大石定平(さだへい)は、昭和19年8月19日、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡で戦死しました。父は33歳という若さで、妻と5人の子どもを残し、この世を去りました。出征時には母のお腹には6カ月の赤ちゃんもいました。
当時4歳だった私は、誰かから父の死を告げられたわけではなく、小学生の兄が、学生服の胸に白木の箱を抱え家の前に立つ姿を見て、幼いながらも「父がもう帰ってこない」と悟りました。箱の中には、遺骨の代わりに、小さな石ころと白紙だけ。あの時の悲しさは今も鮮明に覚えています。
父との記憶は、ほとんどありませんが、兄たちに置いて行かれて泣いていた私をおぶって、みんなのところへ連れて行ってくれたことだけは覚えています。今どうしても顔や声は思い出せませんが、その時の父の背中と、締めていた黒い帯の光景は今も忘れられません。
父の死後、29歳で夫を失った母は、父が残した鮮魚店を守りながら、女手一つで私たち兄弟を育ててくれました。母親の苦労を見て育った私たちは「支えなければ」と、みんなで力を合わせて生活してきました。当時は、周りにも同じように戦争で家族を亡くした方がたくさんいたので、自分だけではないと奮い立たせていました。しかし今、母や上の兄弟たちがこの世を去る度に浮かぶのは「もし父が生きていてくれたら、それぞれに別の人生があったのでは」という想いです。だからこそ二度と戦争のない、平和な世の中であってほしいと願わずにはいられません。

◇平松 とみさん(上本所)
最近30歳を迎えた孫が、家族を持ち元気に働く姿を見て「父は孫と同じ頃に亡くなったんだな」と、年月の早さをしみじみ感じています。また、長年人生を歩んできた今だからこそ、女手一つで私たちを育ててくれた母の苦労をより実感しています。これまで「つらい話」として当時のことを家族に話してきませんでしたが、父を身近に感じることができ、話せてよかったと思いました。両親のおかげで今の家族があることを知ってもらうためにも、語り続けていきたいです。

◇平松 辰規(たつき)さん
幼い頃、一度だけ祖母から戦争の話を聞いた覚えがありますが、当時の私にとってショックだったことしか覚えていません。子どもの頃は、顔も知らない曾祖父のことをどこか他人事のように思っていましたが、小学生になった娘を持つ今、祖母の話を聞くと「自分と同じくらいの年齢で子どもを残し、どんな思いで亡くなったんだろう」と、考えさせられました。娘が平和に暮らせる未来を守るため、祖母から聞いた話を受け継いでいきたいです。

◇手を合わせ 想いをつなぐ
話を終えたとみさんは、辰規さんと辰規さんの娘・芽依(めい)ちゃんと一緒に父・定平さんが眠るお墓を訪れました。芽依ちゃんは初めて訪れたお墓です。3人は家族が平和に暮らしていることへの感謝を伝え、手を合わせました。

■平和のバトンを未来へ
平和は決して、当たり前のものではありません。
人類の歴史は戦争の歴史と言われるほど、争いが絶えず今のこの平和は、過去の戦争の犠牲の上に成り立っている奇跡と言えるのではないでしょうか。
だからこそ、私たちは過去を知り、考え、語り続けていかなければなりません。
明るい未来のために一人ひとりが受け取った平和のバトンを、ともに次の世代へつないでいきましょう。

問合せ:市長公室広報係
【電話】35-0924