- 発行日 :
- 自治体名 : 愛知県新城市
- 広報紙名 : 広報しんしろ ほのか 令和7年10月号
■新城の歴史を記した歴史書「新城聞書」
歴史は常に資料に基づいて語られています。新城の歴史についても同じです。今私たちが知っている新城の歴史の根拠となるものの多くは、今回紹介する「新城聞書」に書かれています。
■江戸時代の郷土史家~太田白雪(おおたはくせつ)~
「新城聞書」の筆者である太田白雪(一六六一~一七三五)は新城の旧家升屋(きゅうかますや)に生まれました。庄屋を務める家で、質屋や酒造などを生業としていました。俳句を好んでおり、元禄四年(一六九一)に松尾芭蕉が新城に訪れた際にはその弟子として鳳来寺山などを案内しています。数多くの句集を出版するなどこの地域の松尾芭蕉の弟子たちを束ねるような存在でもありました。
俳句で名を挙げていた白雪ですが、郷土史家としての側面もありました。白雪が発行したこの地域の歴史書は「続柳陰(やなぎかげ)」「新城雑旧記」「三州野田伝記」などがありますが、これらの本はいずれもこの地域の歴史書です。
これらの本は今から三〇〇年ぐらい前に記されたものなので、その当時に語られていた話がそこに掲載されています。もしこれらの本がなければ、忘れ去られ、今に伝えられないことがもっとたくさんあったと思われます。
■「新城聞書」
白雪晩年の享保一四年(一七二九)に成立しました。この書物の中には当時の新城城周辺の街の様子が克明に記されています。
特に城の始まりについて、かなり詳しく書かれています。信昌ははじめ片山のあたりに築こうとしたが地形的にうまくいかないことが分かったため、入船に築くことにしたと記しています。その際にうでこき山から鉄砲を撃ちかけて玉が届かないことを確認したともあります。
他にも寺や神社、勧進能(かんじんのう)のことなど、その始まりの様子が詳しく記されており、今の私たちが知っている新城の歴史が詰まっています。
問合せ:設楽原歴史資料館
【電話】22-0673
