文化 歩いて発見。津の魅力 歴史散歩〔221〕

■風早池(かざはやいけ)
布引(ぬのびき)山地から乾いた北西風が吹き下ろす季節となり、風早池の周辺では冬枯れの木々に囲われた静かな時間が流れています。
久居インターチェンジから1kmほど西にあるこの池の歴史は古く、垂仁(すいにん)天皇の治世に全国に800もの池を造らせたうちの一つであると伝えられます。
江戸時代に編さんされた地誌『勢陽五鈴遺響(せいようごれいいきょう)』には「敏太(とした)神社北ニアリ大沼ナリ 縦十町余、横二町アリ、此(この)池ノ末流同郡藤方村ニ到(いたり)テ相川ト称シ、相川ハ間河の意ニシテ本郡安濃郡ノ堺ヲナス故ノ名ナリト古説ナリ」とあり、大きな沼の存在と下流にあたる相川の名称の由来が記されています。
風早池は、明暦4(1658)年や安政2(1855)年の拡張をはじめ、大正元(1912)年の東樋門(ひもん)改修や大正12(1923)年の堤防亀裂の修復・改修など、江戸時代以降に幾度も拡張と整備が続けられ、かんがい用水池としての機能を高めてきました。現在の姿となったのは、昭和39(1964)年から足かけ3年の大改修によるもので、昭和43(1968)年2月にその竣工(しゅんこう)を記念した「風早池改修之碑」が堤体東脇に建立されました。
ユニークな形状の石碑の上段は池の形を模したモニュメントとなっており、下段はその起原や改修の歴史・現況についての解説が刻まれています。
拡張改修を経た現在は、堤長313m、堤高11.65m、貯水量50万2,000立方メートル、満水面積16.5haの規模を誇り、市内では芸濃地域の横山池と並んで最大規模の農業用のため池となっています。
この池の水が潤す面積は、かつては戸木町から久居明神町にかけての210haに及びましたが、昭和50(1975)年の久居インターチェンジ建設とその後の周辺商業施設や病院施設等の整備などもあり、現在は69haの範囲となっています。
風早池のかんがい面積は往時の約3分の1となりましたが、風早池土地改良区の管理する用水は、今も久居台地上での安定した稲作をもたらしています。冬の風早池は、春の代(しろ)かきに向けて満々と水をたたえ、静かに羽を休める冬鳥の休息地となっています。
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