文化 じもと再発見 なばりじまん

■名張の川にも漁師がいた!?
名張と鮎のなが~いお付き合い
古くから鮎との関係が深い名張。鮎は縄張りを守る習性がある魚で、「ナワバリ」が「ナバリ」に転じて「名張」になったのでは……という説があるほど。奈良時代には宮中へ塩漬けの鮎を献上した記録や、鎌倉時代には魚を禁じられていた寺僧が名張の鮎鮨(あゆずし)をこっそり楽しんでいたという記録が残っています。
かつて、名張の川には多くの「簗(やな)」と呼ばれる鮎漁の仕掛けがあって、川に囲まれた名張の市街地近辺は「簗瀬(やなせ)村」と呼ばれていました。明治40年ごろまでは鵜飼(うかい)による漁も行われていたようです。名張の鵜飼は、明治時代に編集された図解本に記載が残り、その様子が垣間見えます。
大正14年に下流の大河原(京都府相楽郡)に発電用のダムが建設され、鮎の自然遡上(そじょう)が困難に。その後、稚魚を放流するようになり、現在は「友釣り」が盛んで、市内外から訪れる多くの釣り人で賑わっています。川と共に暮らす名張の人々に、今も昔も、鮎は親しまれ続けています。

■やなせあゆの日
日時:8月24日日 11:00~14:00
場所:やなせ宿
鮎御膳(予約可)800円、塩焼き400円、鮎ご飯400円。数量限定。詳しくはやなせ宿(【電話】62-7760)へ

■川で栄えてきた名張の歴史を紐解いてみよう
郷土資料館には名張の歴史を語る様々な資料が集められています。鮎に関連するものとして「鵜籠(うかご)」は、夏見の民家で永らく保管されていたものを寄贈していただいたものです。このような生活で使っていた物は、使用しなくなれば捨ててしまうもの。この鵜籠は名張で鵜飼がされていたことを証明する品で、大変貴重です。
名張は川を使った水運で大阪方面とつながり、栄えてきたまち。川にもいろんな歴史があるなんて面白いですよね。歴史を紐解くと名張の魅力はたくさん。郷土資料館を訪れて名張の魅力に触れてみてくださいね。

▽語るひと
郷土資料館職員 門田了三(りょうぞう)