- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県伊賀市
- 広報紙名 : 広報いが 2025年3月号
■伊賀国分寺跡の掩体壕(えんたいごう)
西明寺にある伊賀国分寺跡は、奈良時代に国ごとに建立された国分寺の一つです。東西220m、南北240mの範囲に、塔・金堂・講堂などの基壇の痕跡が明瞭に残り、史蹟(せき)名勝天然紀念物保存法ができて間もない大正12(1923)年に指定された国の史跡です。しかし、戦時中に一時指定解除されていたことがありました。海軍航空隊の飛行場が造成されたためです。
飛行場は、現在の上野東小学校、緑ヶ丘中学校あたりが滑走路で、その周辺には倉庫や機体整備場のほか、飛行機を敵の爆撃から守る掩体壕(えんたいごう)、掩体壕から滑走路への誘導路などさまざまな施設が設けられました。そのためには、広大で平坦な敷地が必要でした。
伊賀国分寺跡は、国家が戦争の継続を図るなかで飛行場の敷地とするため、昭和19(1944)年9月に史跡指定を解除され、史跡地内に掩体壕が設けられました。
現在でも伊賀国分寺跡の南側に古墳のように盛り上がっている掩体壕を見ることができます。上から見ると円い形をしており、周囲は爆撃から飛行機を守るため土手が築かれています。国分寺跡を壊して掩体壕が造られたことがよくわかります。
幸いにも金堂や講堂など主要部分の破壊は免れ、戦後の昭和23(1948)年1月に再び国の史跡に指定されて現在に至っています。
今年は戦後80年を迎えます。人びとに大きな被害をもたらした戦争の痕跡は、史跡の一角にも見出すことができます。
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