文化 第139回 郷土史・風俗

■菰野陣屋
関ケ原の戦いでの功績を認められ菰野藩の初代藩主となった土方雄氏(ひじかたかつうじ)は、慶長6年(1601年)、行政や居住の拠点として陣屋を設けます。この時に造られた陣屋は非常に簡素なものであったといわれています。それから約250年後、幕末の動乱期を迎えた12代藩主・雄永(かつなが)は領地の警衛のため陣屋の改造に踏み切り、堀や角櫓(すみやぐら)を増築しました。この時の増改築に関する民話が菰野町に残っています。雄永は京都の公家の娘である益子姫(ますこひめ)との婚礼が決まっていましたが、堀も櫓(やぐら)もないことに益子姫は不安を感じました。その話を聞いて驚いた百姓たちは総出で工事を行って堀や櫓を造り、明治2年(1869年)、無事に婚礼の日を迎えることができたといわれています。その後、明治6年(1873年)の廃城令により建物は取り壊されましたが、角櫓は移築され、堀や石垣の一部は現在も菰野小学校周辺に残っています。