文化 御浜町文化財だより Vol.4

■阿田和の鈴木家と捕鯨
鈴木家は阿田和の旧家で、特に鈴木雄右衛門(養正)は、1783年(天明3年)に生まれ、阿田和村庄屋や木本から成川までの庄屋を統括する有馬組大庄屋を長く務め、私財を投じて人々の幸福のため尽くした人物です。雄右衛門の功績により、阿田和の光明寺や阿田和神社が現在地に建立され、光明寺の境内には、雄右衛門の功績をたたえるため建てられた「鈴木養正頌徳碑」があります。
雄右衛門の孫にあたるのが鈴木雄八郎で、阿田和で組織的に捕鯨を始めた人物です。
熊野地域の捕鯨は、徐福が秦の始皇帝の命を受け不老不死の薬を求めるため航海し、熊野地域に漂着して捕鯨を教えたのが始まりと言われています。
町では、1606年頃から捕鯨は行われていたようですが、1876年(明治9年)、鈴木雄八郎が捕鯨を始め、のちに「阿田和捕鯨会社」として組織的に営業されるようになり、大正初期頃まで続けられました。
町指定文化財「阿田和浦捕鯨絵図」は、雄八郎が1881年(明治14年)の第2回内国勧業博覧会に鯨骨格を出品した際に、付属として出品したとされています。捕鯨の舟や道具類を詳細に描き、捕鯨の様子や浜でクジラを解体する様子を描いています。
また、町指定文化財「上市木八幡神社捕鯨の図絵馬」は、三重県内で唯一の捕鯨を描いた絵馬で、上市木の城内善次郎が鈴木雄八郎の捕鯨に協力・参画した際に奉納された絵馬です。舳へ先さきでモリを構え、櫓を漕いでクジラに近づいていく様子は緊張感に満ち、当時の勇壮な状況が想像されます。

文:御浜町文化財調査委員 中山 豊

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