- 発行日 :
- 自治体名 : 滋賀県草津市
- 広報紙名 : 広報くさつ 令和7年9月号
■姫君婚礼の献上品リスト「万歳鑑(ばんざいかがみ)」
この史料は、竹姫(後の浄岸院(じょうがんいん))が薩摩藩5代藩主・島津継豊(つぐとよ)と婚姻する際、各地の大名から献上された品物のリストです。260人余りの大名らの名前とともに、献上品が記されています。内容は、屏風(びょうぶ)や棚類などの室内調度、鋏箱(はさみばこ)などの道具箱、綿や縮緬(ちりめん)、茶道具、食器類、蚊帳(かや)、手拭掛(てぬぐいかけ)、双六盤(すごろくばん)など多岐にわたります。
竹姫は、宝永2(1705)年に公卿(くぎょう)・清閑寺熈定(せいかんじひろさだ)の娘として生まれました。5代将軍・徳川綱吉の側室の姪に当たり、3歳で綱吉の養女となります。5歳までに2度の縁談がありましたが、いずれも婚姻には至りませんでした。将軍が8代・徳川吉宗になると、竹姫は吉宗の養女となりました。3度目の縁談は竹姫が24歳となる享保14(1729)年。この時の相手が島津継豊で、縁談にあたり、さまざまな条件を提示しました。吉宗はそれらの条件を許諾し、さらに竹姫の御守殿用地(ごしゅでんようち)として広大な土地を授け、各地の大名には竹姫のための婚礼調度(こんれいちょうど)を献上するよう、品物を指定して命じたといいます。
「万歳鑑」の表紙には「享保(きょうほう」十四年酉九月」とあり、将軍が各大名に献上を命じた7月から、将軍自ら品物の検察を行った11月までの間に記録されています。
この時の献上品の指定について「万歳鑑」の内容と、幕府の業務日誌『柳営日次記(りゅうえいひなみき)』の享保14年7月21日から27日までの記録がおよそ合致するため、やはり「万歳鑑」は竹姫婚姻の際の献上品のリストであるようです。
なぜこのリストが草津宿本陣に残っているのか、理由や経緯は分かっていません。これが献上を命じるに当たり、品物を指定した記録なのか、あるいは実際に献上された品を記録したものであるのか、不明な点の多い史料です。一方で『柳営日次記』では品名のみしか記載されていないものでも「万歳鑑」では数量を明記している例が多数みられるなど、竹姫婚姻に際する献上品について知ることのできる貴重な資料の一つです。
「万歳鑑」は、10月3日(金)まで史跡草津宿本陣の常設展示で紹介しています。
問合せ:草津宿街道交流館(草津三)
【電話】567-0030
【FAX】567-0031