- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府大阪市浪速区
- 広報紙名 : 広報なにわ 令和7年1月号
■これからの地域への期待
▽千葉さん 幸町には昔、たくさんの材木問屋がありましたが、その広い土地を賃貸マンションにしたり、処分して出て行かれました。
今はサラリーマンが住むまちになりましたが、もともとは商売人のまちでした。私が引っ越してくる前は、日吉橋を少し南下して幸町通りと交差したところの空間で、やぐらを立てて盆踊りをしていたそうです。交通量もそこそこあったはずですが、きちんと警察への手続きもして開催していたと聞きました。私だったらとてもそんなことはできません。
大店に力があったんでしょう。普段は木材を担いだり樽を運んだりする10代、20代の若者がたくさん働いていましたからね。社長がやるぞ。と言えばできるんです。ある意味ワンマンですが、そういう人たちが1人欠け、2人欠けして、寂しくなりました。
▽区長 最後に今後の幸町に期待することなど、教えてください。
▽谷さん 難波ほどの商業のまちではないでしょうが、かといって、住むまちというだけでもないでしょうし。でも、もう少し情緒のあるまち、誰にでも声がかけられるような下町になったらいいと思いますね。
外国人が入ってきたら治安が悪くなるという話もありますが、そんなことはないと思っています。うちの店は端材がたくさん出るので、店先でワゴンに積んで無料で差しあげています。そうしたら外国から来て近くに住んでいるかたたちは、棚を作りたいからとやって来て、持って帰るのです。自分で努力して作っているのですね。そんなに頑張っているかたたちに直接、端材の使いかたを教えてあげたりしています。コミュニケーションを大切にし、繋がっていけば文字通りハッピータウン 幸町 になっていくことでしょう。そうなって欲しいです。
▽千葉さん サラリーマンの多いまちですから、地域の共通する課題というのはあまりないのですが、ただ1つ共有できるのが、子どもの教育だと思うんです。今でも夏休みのラジオ体操の期間中は、体操が終わったら会館に集めて勉強できるようにしています。この地域で勉強して遊んで、近所のおじいさんやおばあさんに見守られて育ってきたんだと、子どもたちにそんな記憶が残るような地域にしていきたいです。
■幸町地域年表
1615 元和元年 道頓堀川が完成
1698 元禄11年 幸町新地を開発
1854 嘉永7年 安政南海地震津波が発生
1889 明治22年 大阪市が誕生
1915 大正4年 市電の開通に伴い、桜川を埋め立て大正橋完成
1925 大正14年 第2次大阪市域拡張、第1次浪速区ができる 幸町は西区
1934 昭和9年 室戸台風襲来
1943 昭和18年 大阪市22区制により現在の浪速区となり、幸町は浪速区に編入
1945 昭和20年 B29約90機が大阪地区を空襲し、区域の約93パーセントが焼失する 3月。空襲により幸町通を焼く 6月。終戦
1947 昭和22年 戦災復興土地区画整理事業の設計認可 湊町工区
1948 昭和23年 戦災復興土地区画整理事業の設計認可 汐見橋工区
1950 昭和25年 ジェーン台風襲来
1961 昭和36年 第2室戸台風襲来
1967 昭和42年 戦災復興土地区画整理事業が完了 汐見橋工区
1969 昭和44年 地下鉄千日前線 野田阪神-桜川開通
1970 昭和45年 地下鉄千日前線 桜川-谷町9丁目開通
1974 昭和49年 2代目の大正橋完成
1991 平成3年 戦災復興土地区画整理事業が完了 湊町工区
2009 平成21年 阪神なんば線開通、桜川駅新設
問合せ:区役所 総務課 企画調整
【電話】6647-9683【FAX】6633-8270
この記事は、地域の語り部のカタガタの発言をもとに作成しております。歴史考証はしておりませんので、予めご了承ください。