文化 【たかつき歴史アラカルト127】安満遺跡の方形周溝墓

安満遺跡公園の地下には、紀元前500年頃から約800年間続いた弥生時代の大規模な集落跡があります。安満遺跡には人々が暮らした居住域、稲作を行った生産域、亡くなった人を埋葬した墓域があり、弥生時代の集落の3要素がそろった遺跡です。居住域の周囲には濠(ほり)を巡らせ、その外側の周りより低い場所に水田が作られています。墓域は居住域から少し離れた場所に作られ、死者を弔う特別な空間となっています。
墓域からは、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)という、土を盛って造った墳丘の周りに溝を巡らせた四角形の墓が100基以上見つかっています。方形周溝墓は弥生時代の近畿地方でよく見られる墓で、家族と考えられる約2~5人が同じ墓に埋葬されました。中には同じ溝を共有しながら隣り合っている墓もあります。これらは親族などの親しい関係性をうかがわせ、集落では何世代にも渡って人々が暮らしていたことが分かります。安満遺跡でたくさんの方形周溝墓が見つかるのは、集落が長期間にわたり発展した証なのです。
また、多くの場合、後世に墳丘が削られてしまうため、方形周溝墓に納められた棺は失われていますが、安満遺跡からはコウヤマキでできた木棺が見つかりました。コウヤマキは標高の高い山地で採れる木で、高槻周辺では自生していないため、この木棺は木材を遠方から手に入れたことが分かる貴重なものです。
安満遺跡公園では、墓域で見つかった方形周溝墓の一部を復元しています。木棺の写真も実物大で表示しているので、大きさなどを体感してみてください。
(埋蔵文化財調査センター)