- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府高槻市
- 広報紙名 : 広報たかつき(たかつきDAYS) 令和7年7月号 No.1448
埴輪は、約1,700~1,400年前に王や豪族を埋葬した古墳に立て並べた素焼きの焼き物です。筒形の円筒埴輪と、家や人物など実物をモデルにした形象埴輪があります。約1,700年前に埴輪が登場した頃には、王が眠る古墳のてっぺんを中心に壺(つぼ)形埴輪や円筒埴輪などの埴輪を配置しました。それから約50年後に最初の形象埴輪である家や鶏、武器や道具(器財)の埴輪が登場し、引き続き古墳のてっぺんに置かれます。家の埴輪は王の魂のよりどころ、武器や道具の埴輪は古墳の守護のため、意識的に配置されたとみられます。
約1,600年前になると、造出(つくりだし)と呼ぶ、墳丘に付け足したステージに形象埴輪を置くようになり、種類も豊富になっていきます。この頃から、埴輪は古墳を見る他者の目を意識して置かれるようになります。
約1,500年前には、埴輪がよく見える墳丘を囲む堤の上が、人物や動物の埴輪を置く新たなステージとなりました。さまざまな形象埴輪を用いて王にかかわる儀式の場面を再現し、外部の人々にも見せていたのです。
この頃につくられた今城塚古墳は、墳丘が内外2重の濠(ほり)と堤で囲まれており、内側の堤にはさまざまな種類の埴輪を配置した埴輪祭祀(さいし)場があります。この埴輪祭祀場は外濠側に大きく張り出してつくられており、埴輪を外からより見えやすくする意識が強く感じられます。
もともとは死者に向けて置いた埴輪も、時代とともに当時の人々へ向けた情報発信のものへと変化したのです。
(今城塚古代歴史館)