- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府高槻市
- 広報紙名 : 広報たかつき(たかつきDAYS) 令和7年8月号 No.1449
高槻小学校にはかつて、学校用としては破格の規模を誇ったプールがありました。
同校は昭和3(1928)年に現在の場所に移転しました。新築予定地の造成工事には大量の土が必要です。そこで、隣接地を掘った土を使用し、土取り跡のくぼ地にプールを建設することにしたのです。
同校の近くの高槻城跡には、工兵第四大隊(通称高槻工兵隊)が駐屯していました。工兵隊は陣地の構築などの土木工事を任務とする部隊。訓練の一環としてプールの建設工事を引き受けたのです。工兵隊は他にも得意とする土木技術を生かし、洪水時の災害出動や、枚方大橋の建設工事などでも地域に貢献したことが知られています。
工兵隊の作業は同年6月から8月にかけて行われ、延べ約3,000人が従事しました。これにより、資材費だけで建設することができました。
プールは深さの違う四つの区画からなり、全長50m、幅は最大で25m。深さは最も浅い場所が0.6m、最深部が3.6mあり、当時の国際競技規格を備えた本格的なものでした。設計は茨木中学校(現茨木高校)の杉本教諭が行いました。同教諭は日本最初の学校プールである茨木中学校のプール建設に携わり、大正13(1924)年のパリ五輪で水泳選手団監督を務めた人物です。そしてプール開きでは、高槻出身で後に昭和7(1932)年のロサンゼルス五輪において100m背泳ぎで銀メダルを獲得した入江稔夫選手が泳ぎを披露しました。
このプールは昭和38(1963)年に大改修され、平成6(1994)年に現在のプールに建て直されるまで、工兵隊の技術を生徒たちに物語ってきたのです。
(しろあと歴史館)