- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府八尾市
- 広報紙名 : やお市政だより 令和7年8月号
■八尾市からも参加! 「親子記者」体験談インタビュー
八尾市が加盟する日本非核宣言自治体協議会(非核協)では、次世代への平和の継承を目的に「親子記者事業」を行っています。抽選で選ばれた親子が長崎を訪れ、被爆者や平和関係施設を取材して『おやこ新聞』を作成するこの取組みに、本市から参加されたご家族にお話を伺いました!
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◇8月9日生まれの私が長崎で出会った、平和への思い。
・白山聡子さん、穂波さん
令和4年度参加
―親子記者事業に参加した経緯を教えてください。
穂波さん:私の誕生日は8月9日で、長崎に原爆が投下された日と同じです。だから、小さいころから家族で「いつか長崎に行こう」と話していました。令和4年の夏に「親子記者事業」に選ばれ、長崎への取材の旅が実現しました。
―長崎ではどんな人にお話を聞きましたか?
穂波さん:13歳で被爆された丸田和男さんと、「Peace by Peace NAGASAKI(ピース・バイ・ピース・ナガサキ)」の金村公一さん、前田真里さんにお話を伺いました。
―印象に残っていることは?
穂波さん:丸田さんの声がとても力強くて、「語り残さなければ」という思いが伝わってきました。何十年も前の出来事なのに、本当にその場にいるような、タイムスリップしたような気持ちになりました。それだけ当時の記憶が深く刻まれているんだと感じました。
聡子さん:丸田さんは、有名な「黒焦げの少年」の友人で、同じ中学校に通っていたそうです。それまで私は、あの写真を見るのが怖かったのですが、「友達だった」と聞いて見方が変わりました。娘と変わらない年齢の子が被爆したと想像すると、胸に迫るものがありました。
―現地で学んだことで、意識に変化はありましたか?
穂波さん:原爆のことは知っていましたが、実際に長崎に行って話を聞いたことで、平和への思いがより強くなりました。人間だけじゃなく、たくさんの動物の命も奪われていたことにも気づきました。
―取材の最後には、発表もあったそうですね。
穂波さん:はい。学んだことを自分の言葉で発表しました。大阪から父も応援に来てくれました。
―その後も、長崎とのつながりは続いているそうですね。
穂波さん:長崎で取材した前田真里さんが、親子記者のことを本にまとめるために私を取材してくれて、3回八尾にも来られました。その際は、私たちが市内の戦争関係施設を案内しました。
聡子さん:市内の戦争関係施設については、親子記者事業の事前学習として学んだのですが、家の近くの道路が戦時中は滑走路だったと知って、本当に驚きました。
―お父さまも地元の歴史に驚かれたとか。
大祐さん:八尾に長く住んでいても、知らなかったことがたくさんありましたね。家族で学ぶきっかけになりました。
―では最後に、いま伝えたいと思っていることは?
穂波さん:小学生のときは、まわりの友達と原爆の個数について話し合ったりしました。今は中学生になって、「戦争や平和について少しでも興味を持ってもらえたら」と思っています。私自身、長崎に行ったからこそ気づけたことがたくさんあるので、一人でも多くの人が興味を持ってくれたらうれしいですし、自分なりに何かを伝えていきたいです。
◇「知らなかった」から「伝えたい」へ。広がる学びの輪。
・中山文さん、翔太さん
令和6年度参加
―親子記者事業を知ったきっかけは?
文さん:大阪府のホームページで知りました。「長崎に行けたらいいね」くらいの気持ちだったので、選ばれたときは驚きました。
―参加が決まってからは、どんな準備をしましたか?
文さん:事前取材として、親子で「ピースおおさか 大阪国際平和センター」などを訪れました。
翔太さん:学校では、戦争について深く学ぶ機会があまりなかったので、自分たちの住む地域の戦争と平和について調べました。
―長崎ではどんな人に取材しましたか?
翔太さん:1歳で被爆された橋本富太郎さんと、ひいおじいさんが広島と長崎の両方で被爆した「二重被爆者」である高校生の原田晋之介さんのお2人です。
―印象に残っていることは?
翔太さん:橋本さんが戦後ずっと、体調不良などの後遺症に悩まれていたことが強く心に残りました。原爆の被害はその時だけでなく、今も続いているんだと思いました。
文さん:高校生の原田さんが、語り部として活動している姿にとても驚きました。地元の高校生が平和祈念式典に出席するなど、長崎では幼いころから原爆や平和について学ぶ環境が整っていて、大阪との違いを感じました。
―そうした経験を経て、どんなことを考えるようになりましたか?
文さん:たとえば八尾と長崎をオンラインでつないで、それぞれの地域の子どもたちが戦争の記憶について発表し合えるような機会があってもいいのではと感じました。現地に行ける人は限られているからこそ、地域を越えて交流することに意味があると思うようになりました。
―学んだことを、誰かに伝える機会はありましたか?
翔太さん:夏休みの自主学習として長崎での体験を提出したところ、校長先生に声をかけていただき、全校生徒約560人にオンラインで発表しました。平和について、一緒に考えるきっかけになればと思いを伝えました。
文さん:発表の内容をまとめた『報告新聞』も作成しました。非核協のホームページにも掲載していただいています。
―この経験を、今後どう生かしていきたいですか?
翔太さん・文さん:先日も「ピースおおさか」のイベントに参加し、改めて平和について考える時間になりました。本当に貴重な体験をさせていただいたので、「行って終わり」にせず、これからも学び続けたいと思います。