文化 コラム「柏原の歴史」

「大和川付け替え学習の変化」

大阪府中南部の小学4年生が、宝永元年(1704)の大和川の付け替えについて学習しています。最近の研究によって、大和川付け替えの実像が少しずつ明らかになっており、学習内容も変化してきています。
大和川付け替えといえば、中甚兵衛が付け替え運動を展開し、その運動が盛り上がって幕府も付け替えを認めざるを得なくなった。あるいは、甚兵衛が50年間も付け替え運動をしていた。また、甚兵衛が新大和川のルートを考え出した。など中甚兵衛を中心とした学習が行われてきました。
しかし、これらは史料からすべて否定されています。付け替え運動を展開していたのは、芝村の三郎右衛門と吉田村の治郎兵衛でした。甚兵衛が運動に関わるようになったのは1687年ごろからで、付け替えではなく治水工事を求める運動に変わり、その運動もほぼ終息したころになって、幕府が急に付け替えを決定したのです。
当館では、10年ほど前からこの新しい研究成果を伝えるために努力・工夫してきましたが、ようやくここ数年、多くの学校が付け替え学習の修正に取り組むようになってきました。小学校の先生方が、自分たちで学習し、見直しを進めるところが多くなってきました。当館でも、そのような動きに協力し、子どもたちに本当の歴史を伝えるべく取り組んでいます。皆さんも、大和川付け替えについて、理解を深めていただければうれしく思います。