文化 歴史と未来の架橋23

■赤松居館跡出土 土師器皿(はじきざら)(後編)
赤松居館跡の発掘調査で大量に出土した土師器皿は、見た目の色調が橙色(とうしょく)のものと灰白色(かいはくしょく)のものと大きく2つに分類できます。2つの色調の違いに何か意味がありそうなのですが、現在のところ明らかではありません。中世の文献の中にも「赤土器(あかかわらけ)」「白土器(しろかわらけ)」という言葉が見られるので、中世の人たちも土師器皿の色の違いを意識していたことは間違いないのですが…。
それはさておき、さらにそれぞれロクロで作られたものと手捏(てづく)ねで作られたものに分けることができます。そしてさらに皿の大きさで大・中・小に分けるなど、分類作業を進めていくと、全部で25種類の土師器皿に分類できます。
その中には、「京都系土師器皿」と呼ばれるものが3種類あります。すべて灰白色の手捏ねの皿で大・中・小のサイズがあります。詳細な特徴は省きますが、いずれも京の都で生産されたものを、在地で模して作られたものです。
この「京都系土師器皿」は、赤松居館跡の第2遺構面(円心期)からは3%ほどしか出土していないのですが、少し時期が新しくなり、第1遺構面(則祐・義則期)になると、出土量の約30%を占め、激増するという傾向があります。
中世の守護は、基本的に在京しており、あまり地元には帰って来ないのですが、赤松円心は守護となって活躍した時期が非常に短いため、帰郷の回数も少なく、都の技術や文化を持ち帰る機会も少なかったと思われます。
それに対し、則祐や義則は、守護となって活躍した時期が長かったため、帰郷の回数も円心より多く、都から持ち帰る技術や文化も多かったのではないかと推察されるのです。