文化 総本山金剛峯寺と応其上人 ~高野山の中心から受け継がれる祈りの精神~
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- 自治体名 : 和歌山県高野町
- 広報紙名 : 広報高野 令和7年10月号
日本仏教の聖地「金剛峯寺」のお坊さんのおはなし
高野山の中心に位置する総本山金剛峯寺は、真言宗の総本山として、全国の信徒の信仰を集める重要な拠点です。現在の姿は、明治2年(1869年)に「青巌寺」と「興山寺」という2つの寺院を統合し、開創以来の名称に復したもの。およそ4万8,295坪の広大な敷地を持ち、宗務を司る本部機能を担うほか、管長(座主)の住まいとしても知られています。
この金剛峯寺の歴史には、一人の僧の姿が深く関わっています。それが応其(おうご)上人です。応其上人は、もともと近江(現在の滋賀県)の武士でしたが、主君の没落をきっかけに高野山へ入山。38歳で出家すると、塩と穀物を断つ「木食行」という厳しい修行を13年間にわたり続けました。
文禄2年(1593年)、豊臣秀吉が高野山に侵攻しようとした際には、応其上人が自ら交渉にあたり、一山を戦火から守り抜きます。この功績により、秀吉の母の菩提を弔うための寺「剃髪寺」(のちの青巌寺)の建立が許され、応其上人が建設を担いました。
また応其上人は、高野山の内外を問わず、諸国を巡り荒廃した寺院の再興に尽力し、その数は80ヶ所を超えるといわれています。晩年は再び故郷・近江へと戻り、飯道寺で静かな余生を送り、慶長13年(1608年)にその生涯を終えました。現在、応其上人の御廟は高野山奥之院にて大切に守られています。
高野山を訪れる皆さまにとって、金剛峯寺は歴史や信仰を体感できる場所です。応其上人が守り続けた祈りの場、そして多くの人々の想いが息づくこの場所で、ぜひ高野山の歴史と精神に触れてみてください。
問合せ:高野山真言宗 総本山 金剛峯寺
【電話】0736-56-2012