文化 〔墳丘裾保存整備工事完了記念〕知らなきゃもったいない!両宮山古墳
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- 自治体名 : 岡山県赤磐市
- 広報紙名 : 広報あかいわ 令和7年9月号
和田・穂崎地区にある5世紀後半の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)・両宮山(りょうぐうざん)古墳。「この山は何だろう…」と思いながら通り過ぎている人も多いのではないでしょうか。
両宮山古墳は、国指定史跡(昭和2年4月8日)で、墳丘(ふんきゅう)の全長は備前地域では最大規模の206m、全国で約40番目の大きさを持つ巨大古墳です。墳丘の内側には、水をたたえた濠(ほり)(内濠(うちぼり))が巡っており、こうした状況を美しく残す古墳は、県内では両宮山古墳だけです。
令和7年3月、8年にわたる墳丘裾(ふんきゅうすそ)保存整備工事が完了しました。この機会に、改めて両宮山古墳のことを知り、郷土の宝を身近に感じてみませんか。
◆墳丘裾保存整備工事完了記念 まずは両宮山古墳について詳しくなろう!
Q1 工事が必要だったのはどうして?
墳丘の水面近くの土が流されることによって、墳丘が少しずつ削られていました。墳丘がこれ以上壊れないよう、石積みによって墳丘を保存する必要がありました。
Q2 なぜ8年もかかったの?
内濠はため池として利用されており、田畑を潤(うるお)すという地域の生活を支える重要な役割を担っています。そのため、稲刈りが終わった冬場にしか水を抜くことができず、8年という歳月が必要となりました。
Q3 昔から濠に水がたまっていたの?
造られた当時から濠に水がたまっていたかは分かっていませんが、墳端(ふんたん)に堆積した土が江戸時代の土であることから、ため池として後世に掘り返された可能性はあります。
Q4 古墳からどんなものが見つかっているの?一体誰のお墓なの?
後円部の中心にあると思われる埋葬(まいそう)施設は調査されていません。そのほか埴輪(はにわ)などの出土品も見つかっていません。古墳は、生きているうちに墳丘の基本的な形や土盛り部分を造っておき、最終段階で墳丘の斜面に石を敷き(葺石(ふきいし))、埴輪の設置を行うと考えられています。そのため、葺石も埴輪もない両宮山古墳は、「未完成の古墳」といえるかもしれません。
Q5 濠が二重?倭王権(わおうけん)と結びつきが?
平成14~16年度の確認調査で、内外二重の濠が巡ることが明らかになりました。二重の濠をもつ古墳は、近畿地方の天皇陵(てんのうりょう)とされる大王墓(だいおうぼ)などを中心に確認されています。また、墳丘の平面形は大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵古墳)の大きさの5分の2の大きさに設計されていると考える説もあることから、埋葬された人は倭王権の有力首長と強い結びつきを持っていたと思われます。
■古墳コラム 「吉備の反乱伝承」
『日本書紀』には、古墳が造られた5世紀後半に、吉備上道(きびのかみつみち)(現在の赤磐市を含む)を治めた豪族「田狭(たさ)」とその妻「稚媛(わかひめ)」に関連する人々が王権に対して反乱を企てたことが記載されています。『日本書紀』にはこの他、吉備の反乱伝承が記載されており、史実を全て反映しているかは分かりませんが、当時の吉備の豪族が王権の中でとても有力であったことは明らかです。
また、この田狭の妻・稚媛の物語はオペラの題材にされるなど、地元でも注目されています。
◆実際に行ってみよう!両宮山古墳
両宮山古墳は、墳丘に木が茂っていますが、見学することが可能です。「ここに注目!」というポイントや構造について紹介しますので、現地を見学するときの参考にしてみてください。
・POINT 造(つく)り出(だ)し
前方後円墳のくびれ部にある幅20m以上の四角形の土壇。死者を葬るときに儀式を行った場所といわれています。
・POINT 両宮神社
前方部上に位置。伊勢神社とも呼ばれており、祭神は天照大神・豊受(とようけ)大神で、伊勢神宮を勧請(かんじょう)した神社と考えられています。
・POINT 中堤(なかづつみ)から見た古墳
中堤から見ると古墳の大きさを体感でき、航空写真とは違った印象を受けます。
・POINT 陪塚(ばいづか)~和田茶臼山(わだちゃうすやま)古墳~
後円部の北側に位置する帆立貝形古墳。両宮山古墳と同様に葺石や埴輪は伴わず、外濠が両宮山古墳の外濠と一部共有する二重の濠が巡っていることから、埋葬者は、両宮山古墳の埋葬者と親密な関係であったと想定されます。
◇墳丘の構築方法
弥生時代の集落が営まれた丘陵(きゅうりょう)を利用し、その上に盛土を施し造られています。前方部の1段目は、土塊積(どかいづ)みを行っているところが見られ、テラス付近では平坦面を形成するように積まれています。さらに、第2段斜面の表面はその斜面に沿うように斜めに盛土を行っています。
■両宮山古墳墳丘裾保存整備工事完成記念見学会
5月18日、令和6年度に墳丘裾保存整備工事が完成したことを記念して、完成記念見学会を開催しました。市内外から50人が参加し、職員の説明を聞きながら、古墳を一周しました。
◆市民の声
◇歴史があることはまちにとっての誇りだと思う
高陽中学校1年生代表の皆さん
山陽西小学校に通っているとき、「自分たちにしかできないことをしよう」という考えから授業の一環で古墳に関する新聞を作成しました。
取材では、市内のさまざまな古墳を訪れましたが、その中でも両宮山古墳は、内濠に水がたまっていて、他の古墳よりも見た目がきれいで魅力的に感じました。
また、市内に古墳が多いことは知っていましたが、山陽団地の中や普段遊んでいる場所が実は古墳であったことに驚きました。道路建設などのために分断されてしまう古墳もある中で、壊されずに残っていることは「すごい」と感じます。住んでいるまちに歴史があることは誇りに思います。
◇市を代表する歴史遺産「両宮山古墳」を郷土の誇りに思ってもらいたい
教育委員会社会教育課文化財班 主幹 有賀 祐史さん
備前地域で重要な遺跡が最も集中している赤磐市ですが、その中でも両宮山古墳は別格の存在です。二重の濠に囲まれた約200mの墳丘は、地方にあっては破格の大きさです。このことは、当時の倭王権のなかで、両宮山古墳に葬られた有力者をはじめ吉備の勢力が重要な役割を果たしていたことの証拠にほかならず、市の歴史を語る上で、両宮山古墳は欠かせないのです。
今回の特集を機に市民の皆さんが両宮山古墳について知り、郷土の誇りに感じることで、未来に継承していくための第一歩にできればと思います。また、今後も両宮山古墳を皆さんに気軽に訪れてもらうことができる環境を整えていければと思います。
■両宮山古墳や文化財に興味を持った人に…
・史跡だより
平成21年度に史跡備前国分寺跡の保存整備工事に着手したことを機に、市民の皆さんに備前国分寺跡と両宮山古墳周辺の遺跡についての情報発信を目的として創刊しました。史跡に関する情報、出来事について掲載しています。