その他 ふるさとふちゅう再発見

■第57回 府中が農村だったころ(17)〜府中町内の川
町内にある川の流れや名前を知っていますか。昭和7(1932)年に刊行された『芸州府中荘誌(げいしゅうふちゅうしょうし)』には、府中大川(ふちゅうおおかわ)・御衣尾川(みそおがわ)・山田川(やまだがわ)・榎川(えのきがわ)・八幡川(やはたがわ)の5つの川が記されています。
府中大川は府中川、大川とも呼ばれ、呉娑々宇(ごさそう)山の西北の広島市東区馬木(うまき)が源(みなもと)です。馬木では温品(ぬくしな)川と呼ばれ、府中村に入って府中大川と呼ばれます。府中大橋の少し上流で榎川、八幡川と合流し、さらに猿猴(えんこう)川と合流し広島湾へ流れ出ます。御衣尾川は水分峡(みくまりきょう)から流れ出た川で龍仙寺角(りゅうせんじかど)で山田川と合流する間を言います。御衣尾川の洪水で中郷(なかごう)と呼ばれていた地区は土砂に埋まり砂原(すなはら)となります。山田川は茶臼山(ちゃうすやま)近辺の小川が集まり、山田地区を流れて龍仙寺角で御衣尾川と合流するまでの川です。狭く曲がりくねった川で洪水になれば大きな被害を出し、天保7(1836)年に龍仙寺を埋没させました。榎川は榎木川、埃之川、江之川とも書いていました。御衣尾川、山田川の合流点から府中大川との合流点までの川です。名前は川の沿岸に榎木(えのき)が多かったからといわれています。八幡川は江戸時代には砂崎川(すなさきがわ)と呼ばれていました。甲越峠(こうごえとうげ)の麓(ふもと)から瀬戸ハイム・府中中学校南側・府中郵便局前・消防署南側へと流れ榎川、府中大川に合流します。
府中の川には2つの特徴があります。まず川底が周囲の土地より高い天井川(てんじょうがわ)があります。もう一つは護岸の石垣が整備されています。大正15(1926)年の大洪水の復旧の際に堅固な堤防にするため川底から6尺(約1.8m)の石垣を積んだものです。

府中町文化財保護審議会委員
菅 信博