- 発行日 :
- 自治体名 : 山口県岩国市
- 広報紙名 : 広報いわくに 令和7年7月15日号
■岩国と鳥取を結んだ吉川経家(つねいえ)
今年、鳥取市との姉妹都市提携30周年を迎えます。両市をつないだのは、吉川経家という戦国時代の武将です。
吉川氏と言えば江戸時代の岩国領主ですが、関ヶ原の戦いで敗北するまでは、山陰地方を中心に勢力を持っていました。経家が活躍した頃は、毛利元就の次男である元春を当主とし、子の元長・元棟(もとむね)(元氏)・経言(つねのぶ)(広家)も毛利氏の一族として支えていました。経家はこの吉川氏の傍系にあたりますが、元服時の儀式を元長が執り行うなど、同世代の元長とは深い交流がありました。また経家は武将としても勇猛で、頼りになる存在だったようです。
そのような中、羽柴(豊臣)秀吉率いる織田軍が鳥取城を攻め、毛利軍との攻防戦が展開されます。そこで、天正9(1581)年、元春の命を受けた経家が鳥取城に向かいます。このとき、鳥取城周辺は織田軍の侵攻で田畑が荒れて食糧の調達が困難な状態だった上、情勢も毛利軍にとって不利な状態でした。しかし経家は「御用に立つべき覚悟」を持って入城しました。
一方で経家は、兵糧を確保し冬の時期まで籠城すれば、勝算があるとも考えていました。そのため、元春率いる毛利軍は鳥取城に向けて、兵糧を運ぶ援軍を何度も送りますが、織田軍によって阻まれます。飢餓にあえぐ人々の悲惨な状況を見た経家は、降伏を決め、自身の切腹と引き換えに兵士や領民の救済を求めました。
こうして経家は35歳でその生涯を終えましたが、江戸時代になるとさまざまな書物で経家の奮闘や英断が描かれ、人々の知るところとなりました。また経家の子孫は岩国で要職を務め、吉川氏の統治を支えました。昭和時代には、横山にある子孫の屋敷地跡に吉川経家弔魂碑が建立され、その碑を見た鳥取市民が経家と岩国の関係を知り、岩国市民と交流を深め、姉妹都市提携につながったと言われています。
時代を超えて吉川経家が結んでくれた縁を、これからも大事にしていきたいものです。
▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)