- 発行日 :
- 自治体名 : 香川県
- 広報紙名 : みんなの県政 THE かがわ 令和7年8月号
現役時代は「一気の押し相撲」で人気を博し、関脇まで上り詰めた琴勇輝関。現在は年寄「荒磯」を襲名し、後進の育成や相撲協会の活動に従事しています。親方に、これまでの相撲人生や、故郷への思いなどをお聞きしました。
◎香川の皆さま多くの声援をありがとうございます!
◎親方の元で「第2の琴勇輝」を!
[荒磯 勇輝氏 プロフィール]
小豆島町出身。元関脇琴勇輝、本名榎本勇起。小学3年生から香川相撲クラブで相撲を始め、高校1年生の時に中退して佐渡ケ嶽部屋に入門。2013年初場所で県出身力士としては54年ぶりの新入幕を果たすと、16年夏場所で56年ぶりの関脇に昇進した。21年に現役を引退し、年寄「君ケ浜」を襲名。その後、23年7月に「荒磯」を襲名し、現在は相撲教習所の教官として後進を育成している。
幕内在位33場所。十両優勝1回。通算成績480勝430敗70休。
■得意の突き押しで香川を後押し
◯10代で決断し、プロの世界へ
知事:親方が相撲を始めたきっかけや、入門までの経緯をお聞かせください。
荒磯:小学生の頃に出場した相撲大会でどうしても勝てない子がいて、その子を倒すまで頑張ろうと続けていくうちに相撲が面白くなり、4年生から本格的に始めました。中学校に入る頃には、力士になることを目指し、小豆島の内海中学校(現小豆島中学校)に進学。相撲部屋に入るまでの間は監督の家に下宿させてもらいました。入門前にいろいろな部屋を見学した中で、当時の佐渡ケ嶽部屋には人気力士が多く、ものすごい活気でした。稽古に参加して「自分が強くなれる場所はここだ」と、帰りの新幹線で家族に入門すると宣言しました。
知事:10代でものすごい決断をされましたね。家族の反応はいかがでしたか。
荒磯:母親は驚いていました。力士になることを目標にしてから母親はすごく厳しく、監督みたいな存在でした。厳しいはずの相撲界に、生半可な気持ちで臨んでほしくないという気持ちの表れだったと思います。自分の決断を後押ししてくれた母親には感謝しています。
◯つらい下積み時代、大けがからの復活
知事:入門してからの生活はどうでしたか。
荒磯:下積み時代にはつらいことも多かったですが、関取の相撲への取り組み方や姿勢、立ち居振る舞いなどを近くで学びました。師匠からは「悔しかったら強くなるしかない」と言われてきましたので、血と汗と涙を流しながら必死に稽古しました。
知事:相当な努力を積み重ねて関脇まで昇進されました。現役時代で印象に残っている取組を教えてください。
荒磯:一つは十両昇進を決める一番ですね。十両に昇進すると関取と呼ばれ、一人前の力士として認められるので、全てをかけて挑みました。
もう一つは初めて横綱を倒した取組。その前に膝に大けがをして休場しており、医者から復帰まで2年かかると言われましたが、「これでダメなら引退する」と覚悟を決めて2カ月で復帰し、その後、横綱を倒して金星を獲得することができました。この二つの取組は相撲人生を振り返っても大きな財産です。