文化 佐田岬民俗ノート 242

■水車があった頃 2
以前二名津の事例を紹介しましたが、かつて佐田岬半島には各地に水車がありました。水車とは川などの水流を利用して歯車を回転させて、その動力で脱穀や精米・精麦などを行うための道具です。この半島では主にサツマイモを取り扱い、キリボシ(生芋を輪切りにして干したもの)を水車で「芋粉(イモノコ)」に製粉し、販売していました。その芋粉はイモモチなどの材料として使われました。
先日、塩成地区で水車場を経営していた「山崎眞作壽店」で昭和12(1937)年当時使用されていた『仕入帳』・『売上帳』等の帳簿類を寄贈いただきました。
『仕入帳』には生芋の仕入れの記録が書かれており、品名には「太白」「唐」「川尻」「源」など芋の品種と思われる言葉が一緒に記されています。
『売上帳』には、芋のカスを二及(現・西予市三瓶)の養豚組合に売り、製造した清瀧葛や芋粉を石油箱(一斗缶が2個入る大きさの木箱)や袋に入れて売ったことがわかります。
また、三机の法務局跡近くに水車小屋があった事も地元の方のお話から最近わかりました。
町内に現存の水車は残っておらず、わからないことは沢山ありますが、残された資料や記憶から当時の様子が少しずつ浮かび上がってきます。

参考/「水車があった頃」
『佐田岬民俗ノート』p107