文化 佐田岬民俗ノート 244

■豊予要塞の地帯標
2025(令和7年)1月、釜木と大久の境界線の公道上で豊予要塞の要塞地帯であることを示す石柱「要塞地帯標」が軍事研究家の山本達也さん、荒川静花さんによって発見されました。
瀬戸内海入り口である豊予海峡は防衛上重要な場所であり、戦時中には豊予海峡を挟む愛媛・大分両県に「豊予要塞」が建設され、岬端部や佐田岬灯台付近には砲台が設置されました。
今回見つかった石柱は、旧大日本帝国陸軍戦時中に建設された豊予要塞の要塞地帯であることを示すものです。豊予要塞の地帯標が発見されたのは愛媛県内初。銘文中の「FZ」は「要塞地帯(fortress zone)」、「3rdZ」は「第三区(3rd zone)」を意味します。
「要塞地帯」とは明治32年に制定された要塞地帯法(昭和15年最終改正、昭和20年廃止)に基づき、要塞を構成する施設(砲台など)から一定の距離の範囲に禁止・制限事項を加えるもので、第1~3区まであり、このうちもっとも広域な「第3区」は要塞の施設から15,000m以内の範囲を指し、エリア内の測量・撮影・模写・記録などを禁止しました。
80年の時を経て発見された地帯標からも、かつて戦争が私たちの生活のすぐ近くにあったことを感じさせられます。

◇石柱「要塞地帯標」の概要
法量:長さ155センチ 幅17センチ 奥行17センチ
材質:花崗岩
銘文:(正面)「FZ/3rdZ/豊豫要塞第三區地帯標」(/は改行)(右面)「昭和十五年十二月」 (背面)「陸軍省」 (左面)「第六三號」
協力:山本達也さん、荒川静花さん