文化 [令和版]山城作業日記 河後森城(かごもりじょう)からこんにちは-11-

城づくりの際に行われた普請(ふしん)と呼ぶ土木作業のうち、これまでに解説した切岸(きりぎし)(人工的な崖(がけ))や土塁(どるい)(盛土の壁)と並んで多用された防御施設が堀切(ほりきり)です。堀切は、その名の示すとおり地山となる岩肌を掘り抜いた構造物で、水を溜めない空堀(からぼり)という種類になりました。
堀切は、一般的には敵の動きを遮断する目的で設けられたと言われており、山の尾根のラインに対して直角方向に掘りくぼめられてます。こうすることで、城下からの敵兵は、いったん堀の底を経由してから城を登らなければならず、堀切は大きな障害となります。
河後森城の場合も西第十曲輪(くるわ)という地点の発掘調査で新旧4本の堀切を確認しており、他の山城と同様な防御網がしかれていたことがわかります。しかしながら、実際に見つかった堀切には、幅がせまく浅い形態のものもあり、この場合は、城の守備兵が自らの身を堀切に隠しながら攻撃を仕掛ける、いわゆる塹壕(ざんごう)のような使用方法を想定する必要があるのかもしれません。