くらし なぜなぜ人権ーかけがえのない命が輝くまちづくりをめざして–

「ハンセン病問題」に対する偏見・差別の解消を目指して

~ハンセン病をめぐる人権~
1月最終日曜日は世界ハンセン病の日です。
市では、ハンセン病問題に関する啓発として令和4年度に、国立療養所菊池恵楓園絵画クラブ「金陽会※注」の作品展を行いました。
今回は第3回人権セミナーで、一般社団法人ヒューマンライツふくおか代表理事の古長美知子さんを招き、ハンセン病問題の歴史と、今も偏見・差別に苦しんでいるハンセン病元患者およびその家族についてお話を伺いました。

※金陽会:昭和28年に発足した、菊池恵楓園入所者による絵画クラブ。独学で描かれた豊かな感性あふれるその作品は「光の絵画」とも呼ばれ、保存活動により現在900点以上が園内に保管されている。

▽ハンセン病とは
ハンセン病は、以前は不治の病や遺伝病などと考えられていましたが、感染力の極めて弱い「らい菌」という細菌による感染症だということが分かりました。その後、治療法が確立し、適切な治療により完治する病気となりました。

▽古長さんからのメッセージ
ハンセン病問題は遠い昔のことと思われがちですが、今も予断と偏見による差別は続いています。なぜでしょう?それは、国による隔離政策(平成8年の法廃止まで89年間)で、多くの市民が加害に加担した歴史があるからです。国策の下、市民は罹患者を警察や役所に通報し患者のあぶり出しに大きな役割を果たしました。無むらいけんうんどう癩県運動では県が競って患者を収容所同然の療養所に送り込みました。病気の恐ろしさは増幅され日本全国、津々浦々にまで浸透しました。治療薬が投与され治る病気になってもさらに50年もの間、隔離政策は解かれず、差別により被害は当事者とその家族を苦しめました。
平成28年に提訴されたハンセン病家族訴訟では、誹謗中傷を怖れ、家族がハンセン病だったことを胸の奥にしまい、伴侶にも子どもにも友人にも明かせず、父を、母を、兄妹を亡き者として生きている人が大勢いることがわかりました。「私の父さんはハンセン病だったよ」と言える、差別のない社会をつくるにはどうするか。私たちみんなの課題です。

私たちはハンセン病問題を「過去にあった話」と思っているのではないでしょうか。国は、ハンセン病問題の解決の促進に関する法律など、さまざまな施策を講じました。しかし、偏見や差別を恐れて故郷に帰れない人、家族との関係を絶たれた人など、現在も苦しんでいる人がいます。また、あなたの周りにいるかもしれません。
今も続くハンセン病問題を「自分には関係ない」ではなく、差別をなくしていくための当事者として、一歩踏み出し、正しく知ることからはじめませんか。

■第4回人権セミナー八女2024
日時:1月16日(木)19時~20時30分
場所:おりなす八女はちひめホール
演題:短編映画「明日、晴れますか」&制作者からのメッセージ
講師:学生団体Over the Rainbow
申込不要、参加無料。詳細についてはチラシやホームページをご参照ください。