文化 ゆくはし今昔物語

市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

◆Vol.22 行橋駅前通り
現在、行橋駅周辺の景観が日に日に遷り変わっています。いうまでもなく、駅東口から市役所方面へと延びる行橋駅前通り(正式名称:福岡県道211号行橋停車場線)の拡幅事業が進んでいるためです。
明治28年(1895)に行橋駅が開業した当時、辺りは一面田んぼが広がっていましたが、北の長峡川沿い、それと交わる中津街道沿いにあった街並みに向け少しずつ道路が整備されていきました。現在の駅東側の市街地が形成されたのは、行橋町第5代町長、徳田伊勢次郎の功績によるものです。徳田は大正12年(1923)3月、行橋町耕地整理組合を設立。行橋駅東側の総面積25町(約25ha)を対象に現在へとつながる東西7本、南北6本の幹線道路を整備し、翌々年の大正14年(1925)に碁盤目状の市街地を完成させました。

◇1940年/昭和15年 行橋駅前通り
徳田が行った耕地整理は行橋駅東側の景観を一変させました。駅前通りを中心に市街地が形成され、通りには当時「乗合自動車」と呼ばれたバス・タクシーの乗り場や宿屋、料理屋などが立ち並びます。昭和8年(1933)には新国道(旧国道10号、現県道28号)が完成し、駅前通りと接続する川越交差点までは現在へと繋がる駅前通り商店街が徐々に形成されていきます。

・戦前の行橋駅前通り。最奥に行橋駅の駅舎が見える。舗装工事を行っており、あわせて歩道も整備された。右側に立っているのは土木事務所の職員。

◇2025年/令和7年 拡幅工事が進む行橋駅前通り
戦後、商店街が活況を呈し、バス交通網の整備、昭和30年代末からは高度経済成長により自家用車が普及し、多くの人々や車両が行き交うようになり、通りの拡幅を望む声も出てき、昭和41年(1966)10月には事業の都市計画決定がなされました。
しかし、事業化にはなかなか至らず、平成11年(1999)の行橋駅高架事業の完成を契機に駅西口が急速に発展。一方、駅東口の空洞化が顕著に進みます。都市計画決定から約半世紀。ようやく平成27年(2015)より福岡県の街路事業として事業化が実現し、拡幅工事が始まります。

・行橋駅から川越交差点までの550m間を22mの幅員に拡幅(車道11m、自転車通行帯1.0~1.5m、歩道5.5m)し、市内初の無電柱化した通りとなる。

行橋駅前通りの拡幅事業は、令和7年度末に完成、令和8年度より使用を開始する予定です。
昭和41年の都市計画決定からちょうど60年。新たな街路空間となり、近年復活した夜市、またハミング通り・えびす通り商店街などで行われているイベント、拡幅事業とリンクして整備されたリブリオ行橋や赤レンガ館の活用などと相まって、駅東側地区の賑わいが再び生まれ変わることを願ってやみません。

「来月号に進捗状況をお知らせ予定」
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