- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県行橋市
- 広報紙名 : 広報ゆくはし 令和7年11月号
市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
◆Vol.027 連歌の里・行橋
「れんが」という音(おん)を聞くと、多くの人は西洋建築などの資材として用いられる「煉瓦(レンガ)」を思い起こすことでしょう。しかし、行橋では日本古来の文芸である「連歌(れんが)」を想起する人も少なからずいると思われます。
「連歌」とは、複数の人が「五・七・五」(上の句)と「七・七」(下の句)を交互に詠み継いでいく詩歌(しいか)のこと。古く奈良時代に原型ができ、鎌倉時代には百句を連ねて詠み継ぐ「百韻連歌(ひゃくいんれんが)」が主流となり、続く南北朝・室町時代に大成。戦国時代には茶の湯や能などとならび武士の嗜(たしな)みの1つとされました。
江戸時代には、松尾芭蕉によって芸術性が高められ、最初の句である「発句(ほっく)」が重視されるようになります。これが独立した文芸として発展し、明治時代に正岡子規によって「俳句」と命名されます。
◇2004年/平成16年 第19回国民文化祭・ふくおか2004連歌シンポジウム
明治時代以降、連歌は廃れていきますが、全国で唯一、現代まで連歌が生き続けたのがここ行橋の地でした。夏の風物詩・今井祇園祭では、室町時代の享禄3年(1530)より連歌の奉納が続けられ、昭和40年(1965)からは今井に「連歌会(現在の今井祇園連歌の会)」が発足。昭和56年(1981)には今井津須佐神社で日本初の連歌シンポジウムを開催。これを機に各地に連歌が再興され始めます。平成16年(2004)11月には福岡県で開かれた国民文化祭で、行橋市を会場に文芸部門ではじめて連歌大会が行われました。
・シンポジウムのサブテーマは「ひきつがれひきつぐ連歌inゆくはし」。11月6日にシンポジウム、翌7日に連歌実作会を開催した。
◇2024年/令和6年 座で連歌に取り組む中高生
行橋での国民文化祭・連歌大会を機に、行橋市では連歌の普及を文化事業の主要施策の1つとし、毎年「行橋連歌大会」を開催するようになります。一般の参加者に加え、近隣の中高生にも広く呼びかけをし、気軽に連歌に触れる機会を創出し、近年は連歌を担う人材育成も兼ねて、中高生を対象とした「連歌教室」も開催しています。
今年も11月8日に、今井の古刹・浄喜寺を会場に節目となる第20回目の「行橋連歌大会」が催されます。
・第19回行橋連歌大会での1コマ。連歌大会では「座」というグループに分かれ、半世吉(22句)の作品を完成させる。
行橋における連歌の復興、各地への普及、昭和と平成のシンポジウムの開催に尽力した人物がいます。今井津須佐神社の宮司であった高辻安親さんです。高辻宮司は現代連歌の「中興の祖」といえる存在でしたが、平成のシンポジウムを目前に亡くなりました。今井祇園祭、連歌復興に尽力した人生でした。
高辻宮司が愛した連歌は、5年後の2030年に奉納500年の大きな節目を迎えようとしています。これを機に連歌の普及、啓発、後継者育成を推進し、500年のその先の未来にバトンを繋いでいければと願っています。
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