- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県太宰府市
- 広報紙名 : 広報だざいふ 令和7年4月1日号
■古代山城(さんじょう)と大宰府(3)
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今回も、昨年の11月号に続き、古代山城について考えてみましょう。従来、古代山城の分類には朝鮮式山城と神籠石(こうごいし)系山城とがあり、近年これらを総称して古代山城と呼ぶことが一般化してきたことは前回ふれました。このことは朝鮮式、神籠石系の分類が必ずしも有効な方法ではなかったことを示しています。
それでは朝鮮式・神籠石系に代わる分類の仕方はあるのでしょうか。ひとつは嶮山城(けんさんじょう)類・緩山城(かんさんじょう)類という分け方です。これは選地(どんな場所を山城の立地として選んでいるか)による分類といえます。「嶮」は嶮(けわ)しい、「緩」は緩やかの意味ですから、単純には嶮山城類は高い所に築かれた山城、緩山城類は低い場所に築かれた山城といえそうです。
選地による分類を念頭において、北部九州に展開する神籠石系山城とされているものを踏査してみました。実際に現地を訪れてみると、たとえば史跡おつぼ山(やま)神籠石(おつぼ山城・佐賀県武雄市)、史跡鹿毛馬(かげのうま)神籠石(鹿毛馬城・飯塚市)などでは、立派な水門跡が確認されています。水門は城内の雨水などを外に排出するためですから、山城のなかでも最も低い場所にあります。先の二つの山城では、水門はほぼ周囲の平地と同じ高さに設けられており(周囲との比高差0m)、典型的な緩山城といえます。北部九州の山城にはこのような例が多いのですが、一方で史跡御所ヶ谷(ごしょがたに)神籠石(御所ヶ谷城・行橋市)は嶮山城類に入り、城内では規模の大きな中門跡も確認されています。神籠石系山城といえどもそのありかたは決して一様ではないのです。
また古代山城を守固城型(しゅこじょうがた)、前線基地型(ぜんせんきちがた)に分類することもありますが、これは先の嶮山城・緩山城に対応しており、その築城目的が異なることを明らかにした考え方の一つといえるでしょう。
このように古代山城については、前回述べた、いつ築城されたのか、その主体はだれかの問題に加えて、それぞれの築城目的にも注目すべきと考えます。
太宰府市公文書館
重松(しげまつ)敏彦(としひこ)