くらし 手と手をつないで No.392

山本(やまもと)信哉(しんや)
(元小学校教諭)

■心のものさし(3)〜誰が決める?〜
♪障害を持つものはそうでない者より不自由だって誰が決めんの!?♪

このフレーズは、Mr.Children(ミスターチルドレン)の「擬態(ぎたい)」という曲の一節です。桜井さんは聞く者に問いかけています。不自由だと決めるのは誰なのかと。

「障害をもたされている」という考え方があります。「障がいのある」とか「障がいをもつ」ではなく「もたされている」という見方です。つまり、障害をつくっているのは誰かという発想に立つものです。例えば、
・点状ブロックの上に放置された自転車
・横断歩道から歩道に上がる時の段差
・視覚だけに頼ったエレベーターのボタン
・音声だけの火災報知 等
誰もが利用したり、参加したりできるはずのものに阻害される状況、場合によっては生命にかかわる状況があることに出会うときがあります。誰もが安心して暮らすことのできる社会になっているのでしょうか。
確かに、少しずつ改善されてきていることもあります。その一例として、電車の切符販売機のボタンの下にはいつしか点字がつくようになりました。建物の入り口にはスロープや手すりのあることがあたり前になろうとしています。これらの改善は、途上かもしれませんが「誰もが」をキーワードに住みやすい環境をつくろうとする営みの現れです。
もう一つ、「もたされている」を視点に考えなければならないことがあります。それが、人の「心」です。周囲からの心ない言葉、偏見や差別、無関心など障がいのある方々を受け入れない心のことです。私たちの「心のものさし」は、障がいのある方々をわからないからという理由で遠ざけたり、特別視したり、かわいそうだと思ったりしていないでしょうか。
残念ながら、いまだ市内の小中学校から、障がいのある方々を差別する言動が報告されています。その心の中には、障がいのある方々を何もできない人とか変な人とか、不自由な人とか決めつける気持ちが存在しています。決して「誰もが」安心して暮らすことのできる社会とは言えません。
さて、桜井さんの歌う「不自由だって誰が決めんの?」を考えるヒントの一つが「障害をもたされている」という見方・考え方の中にあると思いませんか?

『Mr.Childrenの「擬態」より一部引用』