文化 第二十二回全国藩校サミット 朝倉大会

人づくりは国づくり〜治世安民のための藩政改革〜
入場無料
定員1000人
※詳細は市HPへ

■11月1日(土)ピーポート甘木
◇10時~藩校活動報告会
秋月藩稽古館からは秋月中学校の「稽古館の教え」を生かした取り組みを紹介。そのほか、米沢藩興譲館、熊本藩時習館からの事例発表があります。
◇13時~記念講演
河合敦さん(歴史作家)NHK『歴史探偵』などに出演。歴史を分かりやすく解説するその語りは、歴史の見方や面白さを教えてくれます。
◇15時30分~ご当主座談会
登壇者:将軍家徳川家広さん、水戸藩 徳川斉正さん、米沢藩 上杉邦憲さん、高鍋藩 秋月種高さん、秋月藩 黒田長幹さん
◇16時30分~参加旧藩主家の紹介
参加したご当主がステージ上に並ぶ姿は圧巻です。
◇11月2日(日)11時~秋月城跡
光月流太鼓や林流抱え大筒の演武が披露されます。

■全国のお殿様が集結藩校サミット
藩校サミットとは、江戸時代に各藩が人材育成のため設置した藩校での教育を再評価し、現代教育のあり方を考えるイベントです。サミットは平成14年の東京都文京区から昨年の盛岡市まで、全国各地の藩校所在地で開催。全国から藩校関係者や各藩の現当主も参加します。歴史の教科書に載っていたお殿様の子孫が一堂に会する様子は、めったに見ることのできない貴重な機会です。
朝倉大会では、秋月藩校「稽古館」の充実を図った8代藩主黒田長舒(ながのぶ)に焦点をあて、父の秋月種茂(たねしげ)(宮崎県)、叔父の上杉鷹山(ようざん)(山形県)との交流から見える「人づくりは国づくり」をテーマに開催。今号では、サミットを目前に、稽古館や長舒の予習をします。

■独自の学風を貫いた「稽古館」
福岡藩の分家秋月藩には、藩校稽古館がありました。7代藩主黒田長堅(ながかた)によって、安永4年(1775)に設置され、この時は「稽古亭」と呼ばれています。
天明4年(1784)、8代藩主長舒が家督を継ぐ際に大拡張されて「稽古観」と改称。稽古観では、家臣の子弟や医者・僧侶・神官で11歳以上の者が学び、論語などの学問のほか、軍学や武芸、さらに算術・医術も教科として採用されています。
各地から学識者を招き、特に福岡本藩からは亀井南冥(なんめい)が秋月に滞在して講義を行っています。長舒は南冥を崇敬(すうけい)し、直々に講義を受け、領民を慈しむ治世を学んでいきます。
亀井南冥は、甘棠館(かんとうかん)(福岡藩西学問所)の惣司(そうじ)で、中国の古典を後世の解釈によらず、原点に立ち戻って考えるべきとして、実用性を重視した学風を執っていました。このため、教育的要素が強い朱子学を採用する修猷館(東学問所)と対抗。寛政2年(1790)、幕府が寛政異学の禁を発し朱子学を採用すると、本藩もこれに倣い、南冥を罷免、蟄居(ちっきょ)謹慎処分とします。甘棠館は、火災で焼失、廃校となりました。
長舒は、南冥を継続して支援し、著作『論語語由』を藩の費用で刊行します。稽古観では、南冥の門下生であった原古処(こしょ)を登用し、本藩とは違い、朱子学を採用しつつも、独自の学風を貫いていきます。
文化3年(1806)には稽古観が焼失します。藩の財政は厳しく、再建は同7年、この頃「稽古館」に改称します。翌8年の政変(織部崩(おりべくず)れ)により、秋月藩は本藩の管理下に置かれ、稽古館も同9年に閉鎖。原古処も罷免され、同13年に再開されますが、朱子学を基本に据えられます。
10代藩主長元(ながもと)の代になると、稽古館では、朱子学・陽明学を中心にした教育で、有能な人材を輩出。再び隆盛期を迎えます。

■「治世安民」を理念に藩政改革8代藩主黒田長舒
黒田長舒は、明和2年(1765)、高鍋藩7代藩主秋月種茂の二男として生まれました。天明4年(1784)、秋月藩7代藩主黒田長堅(ながかた)が後継を決めないまま早世します。秋月藩は、長堅の死を隠して養子捜しを行い、1年後に、高鍋藩から長舒を迎えることで決着しました。
長舒は、父の秋月種茂や叔父の上杉治憲(はるのり)(後に鷹山)の治世に倣い「治世安民」の理念のもと、さまざまな事業に着手します。労働力増加と人命尊重の観点から子の間引きを禁止、子育てが困難な家には養育米を支給しました。
人材育成では、藩校稽古観の充実を図るため、外部からの教師に亀井南冥や小川晋斎(しんさい)を招きます。人材登用では、南冥の門下生であった原古処を稽古観の教師に、種痘(しゅとう)法を確立した緒方春朔(しゅんさく)を藩医に、絵師の斎藤秋圃(しゅうほ)を御用絵師に採用しています。
殖産興業では、川茸(かわたけ)や葛粉(くずこ)を特産品として奨励し、楮(こうぞ)・櫨(はぜ)などの植栽を勧め、和紙・蝋(ろう)などの生産に結び付けていきました。福岡藩の代行で務めた長崎警備は、城下町の入口に架(か)かる目鏡橋の築造へとつながります。
長舒の治世は約20年。改革の成果を見届けることなく、文化4年(1807)43歳で死去します。父や叔父よりも早い死でした。

■朝倉市制施行20周年記念 秋月博物館特別展
八代藩主 黒田長舒
期間:10月18日(土)~12月14日(日)9時30分~16時30分(入館は16時まで)
日向高鍋から約200年を経て帰郷を果たした「治世安民」の改革者、黒田
長舒にスポットをあて、秋月の文化と学問が花開いた時代を紹介します。
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)・10月6日(月)~17日(金)(特別展への展示換えのため)
※11月17日(月)・25日(火)、12月1日(月)は臨時開館
観覧料:一般500円、小中学生250円ほか

問合せ:朝倉市秋月博物館
【電話】25-0405