- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県芦屋町
- 広報紙名 : 広報あしや 令和7年8月号
■芦屋の八朔(はっさく)行事(1)
芦屋歴史の里では、9月2日火から「八朔の節句パネル展」を開催します。開催にあわせて、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された「芦屋の八朔行事」を2回に分けて紹介します。
◇八朔とは
八朔とは、旧暦の「八月朔日(ついたち)」を略した言葉です。この日を八朔の節供(せっく)と呼び、昔は正月や盆と並ぶ季節の節目として、全国各地でさまざまな行事が行われていました。八朔の習俗を大きく区分すると(1)稲作の豊穣(ほうじょう)祈願、(2)贈答の慣行、(3)節供飾りの3つです。芦屋の八朔行事は、3番目の節供飾りにあてはまります。
このほかにも、江戸時代には毎年、大名などの武士たちが、白帷子(しろかたびら)を着て江戸城に登城し、将軍に祝辞を述べるという八朔の儀式が行われていました。この日は、天正18(1590)年に徳川家康が初めて江戸に入府した日とされ、幕府にとって重要な日でした。
また、今年の大河ドラマ「べらぼう」の舞台である吉原(よしわら)では、遊女たちが白無垢を着て花魁(おいらん)道中を行い、八朔の日を大々的に祝う年中行事が行われていました。
◇芦屋の八朔行事
芦屋町の八朔行事は、300年以上続く伝統行事です。旧暦八月朔日(現在では9月1日)を初めて迎える長男長女に、男児の家では数多くの藁馬(わらうま)を、女児の家では団子雛(だごびーな)を作り、こどもの誕生と健やかな成長を祝います。現在は、長男長女に限らずお祝いを行っています。
藁馬と団子雛は、翌2日の早朝から近所のこどもたちに配られます。
◇芦屋の八朔行事のはじまり
芦屋の八朔行事の始まりは、江戸時代中頃と伝えられています。その由来は、はっきりとわかりませんが、「お殿様に生きた馬を献上するのを真似て、藁で馬を作ってあやかったのが由来」や「黒田の殿様が八朔の日に神武天皇社に馬で参ったのが由来」などの言い伝えがあります。ある古文書には、「神武天皇社での放生会(ほうじょうえ)が旧暦の八月にあり、そこに黒田藩から家老が馬で代参したのをみて思いついた」と書かれてあったといいます。残念ながら、この古文書は戦災で焼失したため、現在その内容を確認することはできません。いずれの言い伝えも、お殿様や黒田藩の文言が出てくることから、江戸時代に八朔行事が始まったと考えられます。
(芦屋歴史の里)