くらし 【特集1】戦後80年 記憶を語り継ぎ、平和と命の大切さをつなぐ。 多久の戦禍と遺族の声

第二次世界大戦の終戦から80年。
戦争の記憶が少しずつ遠ざかる今も、平和の尊さを語り継ぐ人たちがいます。
静かに、確かに積み重ねられてきたその歩みに、今こそ耳を傾けてみませんか?
あなたも、記憶を未来へつなぐ、大切な1人です。

■戦争の影と今を見つめて
戦時中の日本では、戦地に向かった若者や空襲におびえながら暮らした人々の姿が全国各地にあり、多久も例外ではありませんでした。
『多久市史』によると、当時の東多久村で268人、南多久村で177人、多久村で167人、西多久村で111人、北多久村で346人の、あわせて1069人もの人が戦没。軍隊への動員数は南多久村で736世帯から754人が動員されたとの記録が残されています。
また、村ではなぎなたや空襲を想定した防火訓練が行われたほか、在郷軍人会が住民を教化・統制。戦争は、全ての人の暮らしのそばにありました。
終戦を迎えると、家族を失った遺族たちは深い悲しみの中でも手を取り合って各町毎に慰霊し、平和を願って活動。その思いは、現在まで脈々と受け継がれてきました。
長い年月を経た今もなお、世界には戦時下で暮らす人々がいます。過去を知ることは、平和の意味を改めて問い直すこと。節目の年にあたる今、当時に思いを馳せ、誰もが平和を享受できる未来を考えてみませんか?たしかな平和希求する心を育むために。

■多久市郷土資料館よりお知らせ
戦後80年記念企画展
戦地へ送るふるさと~「郷土勇士慰問写真集 郷土のおもかげ」にみる戦時下の多久~
家族と離れて軍務に就く人を励ます慰問写真帳のうち、現存するものを紹介する企画展です。入場無料。ぜひ足をお運びください。
会期:9月15日(月・祝)まで ※休館日は除く
場所:多久市郷土資料館

■インタビュー
佐賀県遺族会語り部(多久市遺族会会員)
坂口 康子(さかぐち やすこ)さん

「私たちを、戦争を知る最後の世代に。」
旧満州で生まれ育った坂口さんは、昭和21年6月、9歳で引き揚げを経験しました。父は出征し、母は病死していたため、残されたのは幼いきょうだいだけ。引き揚げは、まさに命がけの旅だったそうです。
銃声が鳴り響き、栄養が摂れずに多くの人が亡くなる毎日。やっと引き揚げ船に乗ってからも、命を落とす人は後を断ちませんでした。「火葬などできるはずもなく、遺体は海へ。その時には汽笛が3度鳴りましたが、その音はまるで死者の叫びのように聞こえました」と、切々と語ります。
どうにか引き揚げ、年月が経った平成3年。新聞に公開されたシベリア抑留死者名簿を読み、父の死を知りました。「それを見てすぐ、父の墓参りをしたいという思いに駆られました」と、翌年のシベリア墓参団に応募。姉と2人で父の最期の地を訪れました。
現在は佐賀県遺族会の語り部として活動。「語ることは使命だと感じています。若い世代は特に、戦争のつらさ、悲しさを知っていただき、何があっても戦争への道を選ばないでほしいです」と確かな語り口で、平和の尊さを訴えています。

・引き揚げとは?
日本の外地や占拠地、ソ連軍の占拠地(満州や樺太など)となった場所に住んでいた民間人が、日本の本土に帰還すること。

・シベリア抑留とは?
第二次世界大戦後、ソ連軍が日本人捕虜をシベリアで強制労働させたもの。約60万人が抑留され、約5万5,000人が亡くなった。

◇著作紹介 「今伝えたい、平和への願い 蟻のなみだ」(編集工房edico)
シベリア墓参を終えて書きためた手記で、タイトルは蟻の行列が引き揚げ船に向かう人々と重なったことから。坂口さんが体験された数々のエピソードのほか、後半には詩歌も書き綴られた、平和への願いにあふれる1冊です。

全国の書店でご注文いただけます(ネット販売あり)

問合せ:編集工房edico 高橋香歩(たかはしかほ)さん
【電話】070-5419-8683

◇多久市遺族会は、次世代に戦争の惨禍を繰り返さないよう語り継ぐ団体です。
太田 隆義(おおた たかよし)さん
糸山 喜昭(いとやま よしあき)さん
松永 正之(まつなが まさゆき)さん
私たちは、戦争で家族を亡くした遺族が集い、世界の平和を願って活動しています。
多久市では各町で慰霊祭を開催。県単位でも活動し、研修や坂口さんのような語り部による講演なども行っています。
戦没者を慰霊する活動を、次世代にも継承していきたいです。みなさんもぜひ、一緒に平和をつなぎましょう。

問合せ:福祉課 地域福祉係
【電話】0952-75-2113