文化 ながさきピース文化祭2025 壱岐の島History

■鬼凧(おんだこ)
その昔、壱岐の島は、鬼ヶ島と呼ばれ、たくさんの鬼たちが我が物顔で島内を荒らしまくり、島民を苦しめていたそうです。そこで鬼の悪行を見かねた豊後国(ぶんごのくに)(現大分県)の若武者「百合若大臣(ゆりわかだいじん)」が鬼退治にやって来ます。
大臣は壱岐に着くやいなや次々と鬼に切りかかり、退治していきます。最後に残った鬼の大将である「悪毒王(あくどくおう)」と相対した百合若大臣は、激戦の末、刀を振り下ろしてその首を斬り落としました。斬り落とされた首は、空中に舞い上がり、百合若大臣の兜(かぶと)に噛みついてそのまま絶命してしまいます。島民たちは、退治されて天空から壱岐に戻る機会をうかがっていた鬼たちが、再び島に降りて来ないように、悪毒王の首が百合若大臣の兜に噛みついた様子を描いた鬼凧を天に向けて揚げます。それを天空から見た鬼たちは、怖気(おじけ)づいて二度と壱岐の島に降りて来ることはなかったそうです。今では、凧揚げの目的以外にも、室内の装飾として、家内安全、無病息災の魔除けとして家々に飾られたり、お土産や贈り物として購入されたりしています。平成5年には、長崎県知事指定伝統的工芸品にも選ばれました。