くらし 特集 終戦80年~語り継ぐ、あの日のこと~(1)

かつての「記憶」がここに残されている

■市内に残る戦争遺産「荒尾二造」歴史を知り、未来へ伝えていく
荒尾二造市民の会・東京第二陸軍造兵廠(しょう) 荒尾製造所 平和資料館
諸隈 征碩(もろくままさひろ)さん

◇戦中3000人が働いた100万坪の「二造」とは
「荒尾二造(あらおにぞう)」をご存知ですか?市民の間では「二造(にぞう)」の略称で呼ばれている「東京第二陸軍造兵廠(しょう) 荒尾製造所」。前身は、明治時代に東京の板橋区にあった旧東京陸軍造兵廠で、群馬県岩鼻・京都府宇治とともに、火薬や爆弾などを生産していました。
昭和6年の満州事変以降、火薬の需要が高まったことで、日本各地に新たな製造所が設けられ、荒尾製造所もその一つとなります。荒尾が選ばれたのは、広大な土地があり、隣の大牟田市で火薬の原料となる石炭が採れていたためです。昭和14年、旧荒尾町・有明村・八幡村の100万坪(現在の荒尾市の19分の1)が陸軍地として買収され、製造所としての稼働が始まりました。驚くべきはその敷地の広さで、工場専用の鉄道まであったそうです。
ここでは学徒を含む3000人弱の男女が働き、製造した火薬や爆薬を戦地へ送っていました。荒尾二造は、戦争の記憶を物語る戦争遺産であると同時に、市の発展に影響を与えた近代化遺産とも言えるでしょう。

◇平和資料館で感じる当時の人々の息遣い
この荒尾二造の調査・記録・保存・啓発活動を行っているのが、「荒尾二造市民の会」です。会員は30人ほどで、うち会長の諸隈征碩さんを含む5人が荒尾二造のガイドや、学校などで講演活動を行っています。
「もともと歴史が好きで、縄文時代から集落が形成されていた荒尾の歴史に興味がありました。その中で、『昭和の記録が少ない』と感じたのがきっかけで、荒尾二造の存在にたどり着き、これをもっと多くの人に知ってほしいと思いました」と諸隈さん。
なんと私財を投じて平和資料館を設立し、荒尾二造に関する情報を発信しています。資料館の外観は一見して民家ですが、扉を開けると奥の部屋までびっしりと資料が展示され、まるで昭和の時代にタイムスリップしたような空間です。
展示資料は1000点以上。荒尾二造の構内配置地図や、当時書かれていた日誌・製造所の行員補助名簿・火薬類製造教科書などがあります。荒尾二造に関わった人々からの寄付で集まった資料は、当時を伝える貴重なもの。なかには「一億同胞よ、辛苦を切り抜け」の言葉が書かれた学徒動員宿舎の土壁や、八女和紙をこんにゃく糊で幾重にも重ねた風船爆弾の部品など、戦時中の緊迫した空気を感じられるものもあり、荒尾に確かに存在した戦争の足跡に触れることができます。

◇県外からの来館者もここから平和を伝えたい
「当館には、平和学習のために学びたいという教員や、研修で活用したいという大学生、長崎への修学旅行の前に立ち寄りたいという生徒も訪れます。高校生以下は無料(大人は300円)なので、ぜひ多くの人に訪れて、戦争の悲惨さや平和の大切さを学んでもらいたいですね」と諸隈さん。
ホームページやSNSでの情報発信、イベント参加などを通じて徐々に知名度が高まりつつあり、現在は県外からの来館者も増えてきました。「今後はもっと地元の人にも知ってもらいたい」と諸隈さんをはじめとする会員のみなさんは願っています。
そのために行政への働きかけや、次世代の担い手育成など、地道な活動を続けていくとのこと。全国的にも貴重な荒尾二造の跡地と資料をこれからも守り、未来へと語り継いでいくことが期待されています。

・東京第二陸軍造兵廠(しょう) 荒尾製造所 平和資料館
場所:荒尾市荒尾1065

問合せ:【電話】090-2905-6837(諸隈)