健康 特集 阿蘇医療センター10周年 地域の命と健康を守る(3)

■災害でも、パンデミックでも医療を止めるな
平成28年の熊本地震や近年の新型コロナウイルス感染症への対応を通じて、阿蘇医療センターの役割とその重要性が改めて確認されました。緊急事態の中、住民の生命を守る最後の砦としての責任をどのように果たしてきたのかを振り返ります。

◆熊本地震で地域医療の拠点に
平成28年4月の熊本地震は阿蘇医療センターが初めて経験した大災害でした。16日の本震では阿蘇市でも震度6弱を記録。多くの病院が被災し、患者受入れが困難な状況になりました。
阿蘇医療センターも大きな揺れに見舞われましたが、免震構造のおかげで建物や医療機器に大きな被害はなく、患者や職員にけがはありませんでした。全国から30隊ものDMAT(災害派遣医療チーム)が駆けつけたこともあり、毎日100人近くの急患を受け入れることができました。
停電や断水を想定した非常時用の設備も整っていたこともあり、阿蘇地域の医療災害対策本部がセンターに設置されました。この対策本部に阿蘇郡市の情報を集約。全国から集まったDMATや医師、薬剤師、看護師などと連携し、保健・医療の復興に向けて注力しました。
特に大きな課題となっていたのが、車中泊で避難している人たちのエコノミークラス症候群でした。エコノミークラス症候群とは、長時間同じ姿勢で座っていることによって、血栓ができ、その血栓が血流に乗って肺の血管を詰まらせる病気です。対策本部では、DMATのチームと連携して車中泊に関する実態を徹底的に調査を進め、予防に努めました。

◆パンデミックで生きた経験
熊本地震の経験は医療センターをさらに強靱な病院へと変えました。感染症の脅威に対し、大災害での教訓を生かして立ち向かったのです。
世界中で猛威をふるった新型コロナウイルス。令和2年4月に初めての患者を受け入れて以来、医療センターでは累計で約350人もの患者を入院治療してきました。
何度も非常事態宣言が出されるなど全国各地の医療が混乱に陥る中、医療センターはなぜそれだけの患者を受け入れることができたのでしょうか。要因の1つに、感染症に対応するための最新の設備が整備されていたことがありました。最上階である4階の感染症病床は、室内の空気が外部に出ない特殊な構造をもつ最新鋭のものでした。
もちろん、設備を整えるだけでは患者を受け入れることはできません。事前に感染者の受入訓練を行い、準備を進めていたことも功を奏しました。医療センターの甲斐豊院長は「熊本地震で備えの重要性を強く感じました。その経験を生かすことができました」と振り返ります。
感染症の専門家の存在も、受け入れを可能にした大きな要因の1つです。医療センターには感染症の専門的な知識をもつ感染管理認定看護師がおり、コロナ禍には2人が在籍していました。阿蘇圏域では唯一の存在で、医療センターはもちろんのこと阿蘇圏域の病院や福祉施設での感染症対策にあたりました。防護服の着用方法を指導したり、集団感染が発生した施設に対して感染リスクに応じて区域をわけるゾーニングを指揮しました。
公立病院として、感染症対策の最前線にあった阿蘇医療センター。市民にとって心強い存在であったことは間違いありません。一方で、甲斐院長はこの危機に地域全体で対処してきたと強調しました。「外来診療やワクチン接種など地域の医療機関全体で取り組めたことが大きい。熊本地震の経験を生かして、地域と連携することができました」

▽DMATとは?
大規模災害や多傷病者が発生した事故などの現場に、おおむね48時間以内に活動できる機動性を持った、専門的な訓練を受けた医療チームです。医師、看護師、業務調整員(医師・看護師以外の医療職および事務職員)で構成されています。災害派遣医療チーム Disaster Medical Assistance Teamの頭文字を略して「DMAT(ディーマット)」と呼ばれています。
阿蘇医療センターにも2チーム分の計8人が日本DMAT隊員として登録されています。令和6年1月の能登半島地震に阿蘇医療センターからDMATチームが派遣されました。隊長の坂本圭医師に話を聞きました。

令和6年1月20日から27日までの間、石川県穴水町で活動を行いました。内容は、病院支援として、初日は当直としての夜間の救急患者の対応、それ以降は患者搬送や医療物資の運搬、高齢者施設への電話調査などを行いました。
熊本地震とは違い、上下水道などのインフラの復旧が追いついておらず、衛生面でも注意が必要な状況でした。
地震後3週が経過しており、亜急性期~慢性期における状態での被災地のニーズを汲みとるのに苦慮しました。今回の地震もあり、常に災害へ備える必要があると感じました。阿蘇医療圏の災害拠点病院として今回の経験を生かしていきます。