文化 まるごと博物館 231

■久住夏越祭典の由来
久住地域は、豊後と肥後を結ぶ肥後街道、竹田と日田を結ぶ日田往還が交差する交通の要衝であり、宿場町として栄え、江戸時代を通じて肥後藩の代官所が置かれるなど、久住・小国地域支配の拠点となった。この久住に鎮座する久住神社の神興が、建宮神社へご神幸する久住夏越祭が8月に開催され、周辺地域から多くの見物客が訪れて賑わいを見せる。

◇建宮神社 元宮
大化2(646)年、この地に夜ごと稲妻の光が現れるようになり、大空から一つの白い旗が降りてきた。白旗の上に白鷺が現れ、「この旗は紀州龜山神社のご神霊である…」と語り、翌朝そこへ行ってみると丸い石が見つかった。直ちに神殿を建てるべきと話し合い、建てられたのが建宮神社である。

◇久住神社 新宮
その後、建宮から白鷺が飛び立って杉小野の柿の木に舞い降りた。これを見た村人は、建宮の祭神がお飛びになったと考え、杉小野にご遷座したいのであろうと推測し、ご神殿を建立した。これが久住神社である。

◇久住夏越祭
久住夏越祭は、古来、農作物を風や台風の被害から守るための祭り「風除け祭り」であった。元禄13(1699)年6月、久住神社から建宮神社にご神幸が行われたことが記録されており、これをもって大祭の始まりとされている。
その後、肥後藩の藩主細川公が祭りを賑やかにするために、「生き人形」を山車に担がせ、祭りに彩りを添えさせて今に至っている。
竹田市指定無形民俗文化財である。

竹田市文化財保護調査委員
(田北 敏彦)