- 発行日 :
- 自治体名 : 宮崎県都城市
- 広報紙名 : 広報都城 令和7年5月号
■難攻不落の城、都城!
足利尊氏が征夷大将軍となり、京都に幕府を開いた室町時代。守護は任命された土地を支配し「守護大名」へと成長しました。大名の中には強い力を持つ者も現れ、次第に幕府の力は弱まり、戦国時代へと移り変わっていきました。
都城は、室町時代初期の永和元(1375)年に北郷義久が築いたと伝わる、北郷氏歴代の居城です。現在の都城歴史資料館(都島町)を中心とした一帯にあった都城は、都島にある城ということから「みやこのじょう」と呼ばれ、現在の市名の由来となっています。
文禄4(1595)年、北郷氏は祁答(けどう)院(鹿児島県薩摩郡さつま町および薩摩仙台市祁答院一帯)へ移され、伊集院忠棟が都城へ入ります。慶長4(1599)年、島津氏の内乱「庄内の乱」を経て再び北郷氏の居城となるものの、元和元(1615)年の一国一城令によって、都城は廃城となります。築城から廃城までの240年間落城していないことから、難攻不落の城といわれています。
今年は、都城の築城から650年を迎える節目の年。これを記念して、都城歴史資料館企画展「都城跡~市名の由来となった中世城郭~」を開催します。
■発掘調査で発見! 本丸の姿
都城は、台地を空堀(からぼり)で区切り、約12の曲輪(くるわ)で構成されています。これまでに複数回の本発掘調査や確認調査が行われていて、城主の居城で政治の中枢機関が置かれた「本丸」跡では、都城歴史資料館が建築される際、4度にわたり発掘調査が行われました。建物の柱穴跡が著しく重なり合っていることから、築城から廃城まで、何度も造り替えられながら使用され続けた土地であることが分かりました。主殿や物見やぐら、虎口、鍛冶工房の跡など多くの施設が見つかり、貿易陶磁器などの貴重品や、火打ち金や火箸など金属加工に関連する道具などが出土しています。
■現在の都城跡は?
一国一城令による廃城後、江戸時代から明治時代の都城跡は大半が畑地となり、低地は屋敷地や水田として利用されました。
平成元年には、本丸跡に木造建築モデル事業として都城歴史資料館を建築。市の歴史や文化を紹介する施設として活用しています。
本丸跡のほか、西城跡や池之上城跡、中之城跡、中尾之城跡、取添(とりそえ)跡でも確認調査が行われていて、各曲輪では道路の跡が発見されたり、陶磁器や土師器(はじき)など多くの出土品が見つかったりしています。また、南之城跡や外城跡など他の曲輪は早い段階で削平を受けていて、調査が行われていないため詳細は分かっていません。
開発により様変わりしているように見えますが、現在も当時の姿を留める場所が多く残っている都城跡。普段見かける場所が、もしかすると城跡の一部かもしれません。
◆北郷氏と都城盆地
14世紀中頃に誕生した北郷氏(都城島津家)。記録によると、観応(かんおう)の擾乱(じょうらん)で足利尊氏方について活躍した島津資忠が、その褒美として与えられた現在の都城市北西部の「北郷」と呼ばれる土地にちなんで苗字を改め、「北郷資忠(すけただ)」を名乗ったといわれています。
その後、2代義久が都城を築き※、盆地へ進出する拠点とします。都城盆地全体の統治に苦戦した北郷氏でしたが、8代忠相(ただすけ)の時についに統一を成し遂げます。
忠相は1521~1555年頃、周囲の領主たちと戦い、都城盆地を平定しました。
※築城時期は、発掘調査によると約4半世紀さかのぼる
◆もっと知りたい、都城のこと
○曲輪って、何だろう?
絵図から、城の台地が空堀や土塁などで区切られた約12の区画に分かれていることが観察できます。それぞれの区画を曲輪(くるわ)と呼びます。各曲輪には、それぞれ「御本丸」や「池之上城」、「西城」などが描かれています。
・空堀…地面を掘って造られた城の防御施設
・土塁…土を盛って造られた城の防御施設
○都城の曲輪が造られたのはいつ?
伝承によると、各曲輪が構築された時期は大きく3時期に分けられます。
・築城時(1375年頃。2代北郷義久による)…本丸、西城、中之城、南之城、外城
・戦国期(16世紀頃。8代北郷忠相による)…新城、池之上城、中尾城、中尾之城、小城
・太閤検地後(1595~1600年頃。伊集院忠棟による)…取添
■企画展概要
会期:5月3日(土)~7月6日(日)
※月曜日休館
開館時間:9時30分~17時
※入館は16時30分まで
入館料:
・大人 220円(160円)
・高校生 160円(110円)
・小・中学生 110円(50円)
※( )は20人以上の団体料金。詳しくは、市ホームページを確認ください
問い合わせ:文化財課
【電話】23-9547