- 発行日 :
- 自治体名 : 宮崎県都城市
- 広報紙名 : 広報都城 令和7年7月号
■東北を旅した記録「東紀行(あずまきこう)」
「天下泰平の世」といわれ、260年以上にわたり戦争がなかった江戸時代(1603-1868)。人々の生活は安定し、文化的にも大きく発展しました。
寛政10(1798)年、都城で編さんされた「庄内地理志」には、同時期に江戸幕府が編さんした「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどき)こう」と同様に、地域の地理や歴史が詳細に収録されています。
こうした江戸と都城のつながりを示すのが「東紀行」です。巻末に「時に寛政三亥(さんい)秋、薩摩領日向の産、江戸浪人神昌平坂(しょうへいざか)(神田(かんだ)昌平坂)居住北郷新太郎藤原資清(すけきよ)」とあることから、寛政3(1791)年の秋に北郷資清が記したことが分かります。本史料によると、資清は寛政2(1790)年から3年間、江戸昌平坂学問所の林信敬(のぶたか)に入門。その勧めに従って東北を訪ね、数多くの名所旧跡を視察しました。
帰郷した資清は家老に就任。庄内地理志の編さんを指導しました。資清の江戸での経験が地域文化の発展に大きく寄与したことが分かる貴重な史料です。
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