- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県垂水市
- 広報紙名 : 広報たるみず 令和7年4月号
■垂水南中学校
○垂水南中学校の誕生
今回は、垂水南中学校の歴史を覗いてみましょう。新城・柊原校区は、国道220号に沿って約8km、まるでひとつの帯のように広がっていますが、もとは別の町村でした。昭和22年、今の新城小学校の敷地に「新城村立新城中学校」が開校します。同年、今の錦町振興会、給食センター付近に「垂水町立垂水中学校柊原教場」が開かれました。柊原教場は昭和24年、「柊原中学校」へと変わります。昭和30年、新城村と垂水町と牛根村が合併し、その全域が垂水町となりました。これに伴い、翌年、新城・柊原両中学校の統合が討議されるようになりました。そんな中、昭和33年10月、垂水町が垂水市になり、両中学校は「垂水市立新城中学校」と「垂水市立柊原中学校」へ名称が変わります。そして、昭和34年、ついに新城・柊原両中学校が経営上統合します。しかしこの時期、新校舎はまだなく、それぞれ「垂水南中学校新城教場」と「垂水南中学校柊原教場」として維持されますが、校歌や校章が制定され、校地も宮脇地区に決定します。昭和35年に整地や校舎の建築工事が始まり、昭和36年、校舎を移転して完全統合を果たし、「垂水南中学校」が新たなスタートをします。
○半世紀という短い歴史で
その後、昭和42年体育館落成、昭和54年の創立20周年記念式典・モニュメント「希望の塔」の建立が行われます。施設の整備とともに、学業や部活で市内県内外で優秀な功績を残しながら、多くの卒業生を送り出しますが、平成22年に「閉校式」・「惜別の会」・「記念碑除幕式」が執り行われ、同年3月31日、51年間の歴史に幕を下ろしました。
垂水南中学校は学校としては短い半世紀余りという歴史と立地の特性上、常に増改築や修築がなされ、グラウンド工事が完了するまでは、隣接する国道沿いの護岸道路で100メートル走のタイム測定をしたり、昭和46年にプールが出来るまでは、学校下の海岸で水泳の授業を行っていたといいます。また、学校運営や規則についても試行錯誤の連続でした。故に、学校の全年代に一貫した校風として、若々しく溌溂とした気風がありました。
それを象徴するように、同校には「若鷹魂」という言葉がありました。校章も天に向かって高く飛び立つ若鷹をデザインしたもので、若鷹のような俊敏で行動的な生徒になってほしいという願いが込められています。垂水南中学校の最後の体育祭では、まるでオリンピックの聖火のようなトーチランの後、校舎屋上から校庭の点火台めがけ、鷹の模型がロープ伝いに放たれて、火が灯され、大いに盛り上がりました。
▽参考資料
『垂水市立垂水南中学校閉校記念誌』