文化 たるみず歴史・文化散歩 第64回

■ぶっあがい
○海難物故者供養の祭事
『ぶっあがい』は、海難物故者供養の行事で、中俣や海潟、水之上や新城の一部にも見られます。鹿児島の民俗に詳しい名越護氏によると、『ぶっあがい』とは、『仏事上がり』の意味だろうといいます。
今回は柊原の『ぶっあがい』を紹介します。柊原の『ぶっあがい』は、海で亡くなられた方の遺族が、8月27日の暮れに浜辺に出てきて、砂を盛り上げてその上にロウソクや線香を灯し、海の方を拝む祭事で、その物故者の亡くなった年だけではなく、毎年、行います。昔はお盆の最中である旧暦7月15日の1週間後での日取りであり、22日に行っていましたが、現在は8月27日に行われています。また、昭和19年の第六垂水丸沈没事故や、太平洋戦争を経てからは、その遭難者や戦死者等を供養する意味合いも兼ねられているともいいます。盛る砂の形は多様であり、農家の家は、四角形を三段重ねてお墓の形を模したものを作り、そのてっぺんにロウソクを挿し、まわりにたくさんの線香を灯しました。これは水之上の『ぶっあがい』のものと同形のものです。漁師の家は舟型に盛っていた他、お椀をひっくり返したような形もありました。

○昔のぶっあがい
昔の浜辺は真っ暗で、光源には松明(たいまつ)を焚いていました。ある地元の方の話では、今から約65年ほど前は、砂を盛ったり、線香を灯すよりも『火振り』の行事として『ぶっあがい』をしていたといいます。お盆の時期の火は、あの世にいる精霊(しょうりょう)がこの世に戻ってくる時の目印になると考えられており、地域によっては、長い竹竿の先端に火をつけたり、松明を振り回してより目立つようにする『火振り』という行為があります。昔の柊原では、缶詰の空き缶に、4か所穴をあけてひもを通し、その中に『あかし』、『松根』と呼ばれる、松の根を乾燥させたものを入れて、これを浜で振り回したといいます。
今回の聞き取り調査の中で、それは単に着火のために振り回したというお話もありましたが、家によっては積極的に火振りをしていたとのお話もありました。また、この『あかし』、『松根』を調達するのは子どもの仕事で、山に行って、松の木の根っこを掘り出して、その皮や芯を削ると松脂がまみれた材になるので、これを乾燥させて、着火剤にしたといいます。そしてこの仕事が子どもたちの楽しみであったとのことです。
新城の一部の地域では、初盆の家が、門前に砂を入れたバケツを置いたり、庭に畑から持ってきた土を舟型に盛り、有縁の人がそれに線香を挿しに参る『ブッドン』という行事がありましたが、今はそれをされる家も減ったとのことです。

▽参考
『鹿児島民俗ごよみ』名越護 著
地元での聞き取り
垂水観光協会ホームページ/たるみず日記/水之上牧集落に伝わる「仏あがい」