- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県霧島市
- 広報紙名 : 広報きりしま 2025年11月上旬号
平成17年11月7日、1市6町が合併して霧島市が誕生しました。「霧島市」という名は市民公募3887件の中で応募が最も多かった名前で、霧島山を擁する市として選ばれたものです。そもそも、市名の「霧島」にはどのような由来があるのでしょうか。
■霧島のはじめ
古来、霧島市域を含む南九州地域は「ソ(曽・襲)」と表現されていました。和銅6(713)年「諸国郡郷名著好字令(しょこくぐんごうめいちょこうじれい)」により、地名は良い意味の2文字で表現するようになります。そこで「曽」の1文字から「贈於」という2文字に改められたのではないかと考えられます。『続(しょく)日本紀』には延暦7(788)年7月に「大隅国贈於ノ郡曽乃峯(おおすみのくにそおのぐんそのみね)」が噴火したとあり、これは御鉢の噴火だとされています。現在の霧島市霧島地域は、江戸時代は曽於郡郷(そのこおりごう)、後に襲山(そのやま)郷、明治から昭和にかけては東襲山村という地名になり、現在でも国分重久に東襲山の地域名として残ります。
私たちのなじみ深い「霧島」という名称の初出は承和4(837)年、日本の公的記録である『続日本後紀』の「諸縣郡霧嶋岑神」が官社になるという記事で目にすることができます。
■名前の由来
霧島山がなぜその名前に決まったのかということは推測の域を出ず、確定はできません。江戸時代に薩摩藩が作成した藩の地誌『三国名勝図会』には、霧島山の名前の由来について複数の説が書かれており、大きく分けると次の二つになります。
(1)霧が深いため
霧島山は霧が頻繁に発生するため、霧という字がよく使われたという説です。水が豊富な霧島山では、朝夕に霧が立ち込めます。特に、宮崎側から見た場合、都城盆地に霧が溜まりやすく、雲海からのぞく連山の姿が霧の中に浮く島のように見えます。
(2)火山の噴火のため
先に紹介したとおり、霧島の名前の初出は「霧嶋岑神」で、延暦7(788)年の御鉢の噴火後であるため、火山噴火にちなんで名付けられたのではといわれています。火山が噴火した際、噴煙や火山灰が空気中に漂いますが、それが霧のように見えたことに起因するという説です。
そのほかにもさまざまな説がありますが、主にこの二つの説が通説になっています。現在、(1)の霧が深い山である説が主に語られますが、活火山として今も噴煙を上げる姿を目の当たりにすると、(2)の火山の噴煙説もあながち間違いではないと思われます。
「霧島」の名前は、全国的には焼酎や牛乳の名前で有名になっています。これらは厳密には霧島市のものではありませんが、霧島山が周辺地域にとって大切なシンボルだからこそ、商品名に使われ、広まっているのではないでしょうか。そんな山の名前を冠した霧島市。20年を経て、霧島市の名前がますます広まってほしいものです。
(文責=小水流)
