- 発行日 :
- 自治体名 : 沖縄県那覇市
- 広報紙名 : 広報なは市民の友 2025年6月号
■未来へ伝えるために、戦争を知る。
沖縄戦の悲劇や平和の大切さを未来へ語り継ぐには、まず私たち自身が沖縄戦について理解する必要があります。それらを深く知ることで次世「代に正しく伝えることができます。
そのために、市内にある戦争の資料館や戦争跡地を訪れてみてください。今回は、市内の施設などをいくつかご紹介します。実際に現地を見て、証言を聴き、戦時中の状況をイメージしてあなた自身で感じたことを伝え続け、未来へと平和を繋いでいきましょう。
◆1.養秀会館一中健児之塔
○養秀会館
男子学徒の資料室である「一中戦没学徒資料室」があり、学徒の遺影や遺族などから寄贈された遺品資料を展示しています。戦争の悲惨さ、平和の尊さを継承するため、解説員による説明も行っています。
所在:首里金城町1-7
○一中健児之塔
沖縄戦で戦没した藤野憲夫校長以下沖縄県立第一中学校の職員、生徒を合祀しています。この地は、養秀寮の跡地であり、最後の卒業式が行われ鉄血勤皇隊が結成された地であり、最初の犠牲者が出た地になっています。
所在:同上
資料室には、当時の学徒の遺書や遺髪などもあります。
◆2.シキナグウヌガマ・シッポウジヌガマ(県庁壕)
○シキナグウヌガマ
識名宮の後方にある壕でお宮のガマともいわれています。10.10空襲以降、避難民や兵士が使用していましたが、東風平に駐屯していた守備軍重砲隊と入れ替わり、避難民は東風平小城の壕に移動したといわれています。
所在:繁多川4-1-43
○シッポウジヌガマ
識名霊園内にある自然洞穴を広げた壕で、県知事が戦時行政を行ったことから、県庁壕とも呼ばれています。ここで最後の市町村長合同会議が開催され、食料増産や南部町村での避難民受け入れなどが話し合われました。
所在:字真地123
各壕の入口は施錠されています。シキナグウヌガマは、毎月1日と15日に開放しています。シッポウジヌガマは、繁多川公民館または市文化財課で鍵の貸し出しをしています。繁多川地域のガマについて詳しく知りたい方は、繁多川公民館にご相談ください。
問合せ:繁多川公民館
【電話】917-3448
◆3.ハーフムーンヒル・シュガーローフ
○ハーフムーンヒル
西側のシュガーローフとともに沖縄戦最大の激戦地。区画整理で当時の面影はありませんが、弾痕のある壁のほか小銃や銃剣、水筒など日米両軍の遺物が展示された碑が建っています。
所在:真嘉比1-13-15
○シュガーローフ
沖縄戦時、首里攻防の最後の砦として日米間で激しい戦闘が行われた地で、ここでの戦闘は、圧倒的な火力・戦力の米軍に対し日本軍が互角に戦ったと言われています。特に頂上付近の戦闘では、日米両軍の支配が1日に4回も入れ替わるほどで、至近距離での銃撃戦、手りゅう弾の投げ合い、肉体的、精神的緊張の極限状況の戦いは日米軍双方に多大な死傷者を出しました。
所在:おもろまち1-6
◆4.対馬丸記念館・小桜の塔
○対馬丸記念館
対馬丸事件を後世に正しく伝え継ぐことを目的に建設。館内では事件の全容を学び、犠牲者の氏名、当時の学校教室や船内の復元、犠牲者の遺影・遺品を見ることが出来ます。語り部による講話も聞くことができます。
○小桜の塔・戦没新聞人の碑・海鳴りの像
記念館に隣接する旭ヶ丘公園には、対馬丸事件の犠牲者を祀った「小桜の塔」や、対馬丸以外の船舶での犠牲者を偲んだ「海鳴りの像」、戦禍の中2か月に亘り新聞を発行し続けた新聞人を祀った「戦没新聞人の碑」が建立されています。
所在:
対馬丸記念館/若狭1-25-37
小桜の塔など/若狭1-25
※参考文献沖縄時事出版「沖縄の戦争遺跡」、沖縄県高教組教育資料センター「沖縄の戦跡ブックガマ」、沖縄県生活福祉部援護課「沖縄の慰霊塔・碑」
今回紹介しました資料館や戦争遺跡のほか、市内には複数の慰霊の碑や戦争遺跡が確認されています。平和学習の教材として活用してはいかがでしょうか。※私有地であることや落盤の危険性などで、公開されていない場所も多くあります。
取材/秘書広報課
【電話】862-9942