- 発行日 :
- 自治体名 : 沖縄県西原町
- 広報紙名 : 広報にしはら 2025年10月号 No.644
内間村跡は、令和4・5年度に字内間の集落北側に所在する拝所(カヤブチ御殿(うどぅん)※)に近接する敷地で実施した試掘調査により発見された集落遺跡です。発掘調査は、当該敷地の南側に、東西に伸びる長方形状(縦6.4m×横24.6mの面積約158平方メートル)の形で調査区を設定し、今年の2月から3月までの2か月間で行いました。
内間については、今から約300年前の歴史資料(『琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)』、『琉球国高究帳(りゅうきゅうこくたかきわめちょう)』)には「内間村」の表記が見られ、『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』(1650年)には、1458年に金丸(かなまる)(のちの琉球王国第二尚氏の初代国王・尚円(しょうえん)王)が内間の領主に任命されたことが書かれていることから、少なくとも今から600年ほど前から集落があったことがうかがえる地域となっています。
発掘調査では、調査区の西から中央付近に掘立柱(ほったてばしら)建物の柱が建てられていた穴(約200年前~それ以前)と考えられる直径20~40cm台の円形状の遺構が60基ほど確認されました。また、大きな範囲で掘られた穴(土坑(どこう))も3基[(1)~(3)]確認されています。この土坑の中からは、古い沖縄産の陶器や中国産の磁器などの破片、獣骨片、貝、石材など(約100年前~それ以前)が多く出土したことから、当時の生活で不要となったもの(ゴミ)などを捨てる場所であった可能性が考えられます。この他にも、詳細は不明ですが東西に伸びる溝状の遺構[(4)]も確認されています。
一方で、調査区の東側一帯は、地形が東に向かって低くなり、その傾斜地に厚く堆積した土の中からは、グスク土器や青磁(せいじ)を中心とした中国産磁器など(約500~600年前頃)の欠片が多く出土しました。また、南北に縦断する溝状の遺構[(5)](約600年前以降)も確認されました。溝の底面が南側に向かって緩やかに低くなっていたことから、排水などの目的で掘られた可能性が考えられます。さらに、調査区の東端では、詳細不明な溝状遺構(約200~300年前頃か)[(6)]や、石組み井戸が2基[(7):今から約100年前頃、(8):(7)の井戸を掘る前に使用していたと考えられる]も確認されました。
以上のことから、今回の調査では、確認された地形や遺構、遺物の出土状況から、調査区東側一帯が600年ほど前頃から「水」を排水・取水する場所として、調査区の中央から西側一帯では約200年前以前には居住区域として利用されていたことがわかり、前述の歴史資料の内容を裏付けるような成果が得られました。なお、調査区周辺一帯の地中にも「内間村跡」が広がることが推定されます。
※地域では金丸が内間ノロと一緒に過ごした場所という伝説が残っている。また、この周辺一帯が内間集落発祥の地といわれている。
※詳細は本紙をご覧ください。
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