文化 文化の泉 宝物(たからむん)No.70

■琉球絣事業協同組合 設立50周年
南風原では、豊富な色柄の「琉球絣」と「南風原花織」が生産されています。織物従事者が県内で最も多く、染めやくくり、織りなどの各工程を分業制で行うのも特徴です。この南風原の織物生産の中心となる琉球絣事業協同組合が、設立50周年を迎えました。
南風原では、戦後いち早く織物が復興しました。物資が乏しい頃は米軍のパラシュートのひもやロープなどをほどいて糸にして織ったそうです。1950(昭和25)年頃、各家庭に電灯がともるようになると、夜まで製織ができるようになり生産量が増えていきました。ただし、この頃はまだ糸や染料の調達が課題だったため、南風原織物組合が結成されました。
昭和30年代からは絹の絣も織られるようになりました。復帰前後の時期には分業体制が整い、沖縄の伝統工芸品として注目され、生産に拍車がかかっていきました。
1974(昭和49)年に琉球絣が県の伝統工芸品に指定されたのを契機に、1975(昭和50)年に半ば形骸化していた南風原織物組合を組織替えし、「琉球絣事業協同組合」(以下、組合)が設立されました。1977(昭和52)年には、南風原町が「かすりの里」宣言をし、琉球絣の本場として内外にアピールします。そして1980(昭和55)年に琉球かすり会館が建設され、原材料の共同購入や技術研修など幅広い事業を展開してきました。
1987(昭和62)年の海邦国体では、絣の一大拠点としての組合のプライドが光りました。開会式では婦人会による集団演舞があり、沖縄らしい絣の衣装で踊ることになりましたが、当初プリント生地を使う予定でした。しかし、絣の産地の南風原は黙ってはいられません。組合、町議など地元の関係者が県の事務局に「衣装を南風原で織らせてほしい」と提案し、南風原町が600万円の補助金を捻出して衣装用の絣製作に取り組みました。無理だと言われながらも短期間でなんと2000反を織り上げました。組合の皆さんの熱い思いで、本物の絣衣装での集団演舞が実現したのです。
現在、組合では後継者育成事業や県内外へのPRなどを行っています。50周年を記念して、11月には展示会も開催されます。ぜひ、展示会やかすり会館を訪れて、南風原の織物の歴史と今を体感してください。(前城)

問合せ:文化センター
【電話】889-7399