その他 沖縄民権運動の先駆者 謝花昇 生誕160周年記念事業
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- 発行日 :
- 自治体名 : 沖縄県八重瀬町
- 広報紙名 : 広報やえせ 令和7年9月号
◆謝花昇(じゃはなのぼる)
1865(慶応元)年―1908(明治41)年
謝花昇は、1865(慶応元)年、東風平間切、現在の八重瀬町字東風平の屋号東謝花の勝太郎とカミーの長男として生まれました。
東風平小学校、沖縄県師範学校を卒業した謝花は、18歳の時に上杉茂憲県令が創設した留学制度の第1回県費留学生に選ばれ、現在の東京大学などで学び、卒業後は沖縄県出身者初の高等官として故郷の沖縄県庁に赴任しました。
当時の沖縄は、知事をはじめ行政や経済の主要な地位を県外出身者や一部の裕福な人々に占められていたため、貧しい農村出身の謝花は、階級打破の象徴として人々から敬われ、親しみを込めて「クチンダジャハナ(東風平の謝花)」と呼ばれました。
謝花は製糖法の改良、造林の指導、土地整理や銀行の設立などに携わり沖縄の産業振興に貢献しましたが、杣山の開墾問題で奈良原繁知事と対立したため県庁を辞職し、その後は仲間とともに専制的な県政の批判や沖縄県民の参政権獲得運動に身を投じました。当時の日本ではすでに国会〈当時は帝国議会〉が開かれ、他府県民はその代表である議員を議会に送っていたが、沖縄では選挙さえ実施されていなかった。
彼らはさまざまな妨害にあって挫折を余儀なくされ、謝花も志なかばの44歳(数え)で病のため短い生涯を閉じましたが、その活動は実り、謝花没後4年目の1912年に沖縄初の国政選挙が実施されました。