くらし 【特集】ヤーン・アライブ(2)

■赤は心を元気にします
《遠藤》
私とサーカさんとは昔からのお付き合いです。私の家も被害にあったものですから、この活動のことを伺った時、サーカさんにとって浜弁はちんぷんかんぷんだと思ったので、そのお手伝いができるならと参加したのがきっかけです。
私と同じ思いで、花渕浜の遠藤きみ子さん、蓮沼榮子(はすぬまえいこ)さん、鈴木喜代子(すずききよこ)さん、元花渕浜の西村きえ子さん(汐)、平志津江(たいらしづえ)さん(笹)、元菖蒲田浜の星まゆみさん(笹)が今も一緒にお手伝いをしています。

《相川》
集まった方は、けっこうお年の方でしたので、サーカさんに浜の言葉が通じなかったんですよ。
私は、もともと編み物をしていたことから誘われました。私の家は床上まで津波がきたので、初めは片付けもあり、先にお姑さんが来ていました。
サーカさんにはいつも、通りすがりに声をかけていただいて、お姑さんと一緒に行ってもらっていました。お姑さんは、たくさん編んで誰かにあげることをとても楽しみにしていますよ。

《遠藤》
この「ヤーン・アライブ・ハウス」ができた時もすばらしいことだとすごく感動しました。

《サーカ》
せっかく、菖蒲田浜や花渕浜の皆さんが仮設住宅で一緒に5年間活動してきたのに、仮設を出て、会うことができなくなると2番目のショックになります。それもかわいそうと思い、この施設を作りました。ヤーン・アライブ・ハウスの外壁は真っ赤です。赤は明るい色で心を元気にします。そして、もう一つ、赤にした理由は、アメリカでは昔から学校の校舎の色は赤でした。だれでも一目でわかりますね。仮設住宅の部屋の壁は真っ白でした。色はとても大切なのです。

《町長》
避難所で仲良くなった人たちも、仮設住宅に移る時にはばらばらになって、仮設でも一からコミュニティを作らなければなりませんでした。次の段階では、仮設住宅の集約、その後には高台や災害公営住宅に行く人に分かれて、その都度、コミュニティがばらばらになりました。
そうした中、仮設の集会所では、サーカさんや山形の書道の先生に支援をしていただいていたので、一時でも気がまぎれるならと思っていました。

《遠藤》
同じ地区に再建したとはいえ、コミュニティが落ち着くまでには、ちょっと時間がかかるみたいで、この施設ができて、仮設からの人のつながりそのままに活動できたことが良かったんですね。その雰囲気が今も続いていて皆さん、とても楽しみにしていらっしゃるんですね。

《町長》
仮設住宅でのご近所の組み合わせが、一つ違っただけでも雰囲気が変わりましたからね。
あの時は一人一人心の中に自分の大変な思い、物語を秘めているけれど、あまり話したがらなかったですね。