- 発行日 :
- 自治体名 : 宮城県七ヶ浜町
- 広報紙名 : 広報しちがはま 令和7年1月号
■少しでもお役に立ちたい
《町長》
私が一番驚いたのは、ここは被災地で、皆さんは本来なら支援される側なのに、逆に支援を始めたことです。
《サーカ》
初めは、編んだものを誰かに送ろうということは考えていなかったのです。
しかし、ある時、津波に襲われ、先生方が4日間も屋根の上で過ごした障害児施設の気仙沼市マザーズホームとその隣の保育所のことを知り、ぜひ送りたいと思ったのです。
《相川》
支援できるくらい編んだものがたまってきたということもありますね。
《サーカ》
また、私は週1回だけの編み物では長続きしないと思いましたので、皆さんに毛糸を渡して、自宅でモチーフ(パーツ)を一つだけ編んで持ってくるよう話しました。
その時、宿題という言葉を使ったので、皆さん、その言葉をいやだと言いましたね。
《相川》
モチーフを皆さんが一つ作りさえすれば、それをつなげて一枚の編み物にすることができるんです。
《サーカ》
初めは、編んだ物を売ることも考えましたが、誰がいくらで売れたとか、お金がからむと人間関係にも影響すると思いましたので売らずにあげることにしました。
編み物は、自分のためでもいいし、友達のためでもいいけれど、何かのプロジェクトがあるときは、皆さん、よろしくね!と言いました。
《相川》
今もその形態で活動しています。
《サーカ》
最初は、アメリカの母と妹から毛糸が届きました。
2012年に、ウォール・ストリート・ジャーナル(アメリカの経済、ビジネス日刊紙)で私たちの活動が紹介されてからは、たくさんの毛糸が世界中から毎日届くものですから、新たに保管する倉庫を作ることになりましたね。
《相川》
配達の方は、勝手に倉庫を開けて、入れていっていただいています。
《サーカ》
誰も毛糸を盗みたいとは思わないから大丈夫でしょ。
《町長》
今は、シリアやフィリピンなど海外にも送っているんですよね。
《和泉》
やっぱり、みんながお世話になったことへの感謝の気持ちと、今度は、そのお返しとして大変な思いをしている人に少しでもお役に立ちたいと思うようになったんです。
震災から時間がたち、少しずつ心のゆとりができてきたからだとも思います。今度は、ここを支援しましょうとなると、みんな一丸となり、張り切って編むんです。
《サーカ》
ヨルダンに逃れたシリア難民のことをニュースで知り、私たちはシリアの子どもたちのために毛糸の帽子とスカーフを送ろうと思いました。
一時、ヨルダンは暑い国なので毛糸の帽子は必要ないとも思ったのですが、実はヨルダンの冬はすごく寒いことやシリア人はたくさんの子どもを産み、子どもの服が全然足りないことがわかりました。
みんなで早速、編み始めたものの、次にどうやってヨルダンまで送ろうかとなりました。
思案の末、私の次男がスーツケースに詰めて直接持っていくことになりました。彼は「七ヶ浜のばあちゃんたちがニュースを見て、あなたたちのことを思って編んだんだよ」と伝えました。
皆さんがテレビを見て何かできないかと思うことはすごいことでしょ。ネパール地震の時には、安子さんが「ねぇねぇ先生、なんでネパールに送れないの」と言うんです。それも暑い国だからと思いましたが、実際は山の方だと寒いことや温かい帽子をかぶると余震の怖さが和ぐからと喜ばれました。
《和泉》
送った帽子をかぶった子どもの写真を見た友達が「あらっ、これ私が編んだんだよ!」と言って大喜びしました。人のために少しでも役立てば、生きがいにもつながります。
《サーカ
最近は洪水の被害があったパキスタンにも送りました。南アメリカにもギリシャにも送りました。
《遠藤》
今は、何かあれば、いつでも送ることができるように帽子やひざ掛けは編んで貯めています。
熊本や北海道、広島、能登など国内の被災地にも送りました。
丸森町では、水害後に婦人会の皆さんが私たちを訪れ、この活動を始めました。毛糸を差し上げたら編んで持ってきてくれたりして、つながりが広がっています。
《サーカ》
私たちには毛糸がいっぱいあったから幸運でした。今は、丸森の皆さんとともに能登のために帽子とひざ掛けを編んでいます。