くらし 【特集】派遣職員に映る復興(3)

◇地区の皆さんにとても良くしていただいた。
印象に残っていることは、他の地域でもとても良くしていただいたんですが、特に最後の事業として取り組んだ代ヶ崎浜地区の皆さんとは、おはじきのアートや海岸防災林の植樹など、折に触れお世話になりました。
また、平成26年の安倍総理をはじめ、歴代の復興大臣、愛知県内の市長の被災地視察に奔走した日々。花渕浜の現場で江戸時代よりも古い時代の人骨が発見されたこと、戦時中の不発弾が見つかって自衛隊に処理をお願いしたことも思い出深いですね。平成30年の菖蒲田浜海岸での海に映った復興花火の美しさには息をのみました。
私的なところでは、東北の山への登山が楽しみでした。町職員と一緒によく登った栗駒山は素晴らしかった。東北の日本百名山15座のうち、飯豊山(いいでさん)を残し完登しました。

◇できることは何でもやる。できない理由を考えない。
私は、これまで「できること(法的、制度的に)は何でもやる。できない理由を考えない。難しくとも何とかできるよう考える。」ことを肝に据えて仕事を行ってきました。
土地区画整理事業を進める時も、例え手間がかかり面倒でも、地区の要望に沿いつつ、その地区に合った内容にすることを心掛けました。
当初の説明会を含め、代表者説明会と権利者説明会を合わせると各52回、全体の説明会は14回以上行い、事業計画は22回、地区計画は4回変更することになりました。

春日井市で管理職であった時代に人づくりに取り組んだように、七ヶ浜でも、春日井市の職員をはじめ、他自治体の若手職員の育成を心掛けました。

◇〝七ヶ浜町は独特〟と言われるように
かつて実家の勉強部屋から遠くに見えた大阪湾と同じように、光る海の見える七ヶ浜町役場で仕事ができたことは、50年以上忘れていた少年時代の情景を思い出すことができました。
七ヶ浜町は東北で一番小さい、そして最も仙台や多賀城、塩竈へ通う人口比率が高いこの町で、小さいことのメリットを生かし、〝七ヶ浜町は独特〟と言われるような特色あるまちづくりを推進されることを願います。
そして、七ヶ浜町内の地域にもそれぞれに特色があります。地域の活性化のための世代交代により、地域づくりが今後も継続されることが私の願いでもあります。
七ヶ浜町で11年間過ごすと、お世話になった人たちがどんどん高齢化し、お亡くなりになられたりして寂しい思いがします。
皆さんには、是非いつまでもお元気で過ごされますよう願っております。

◇みんな寂しがるなぁ
~前代ヶ崎浜代表区長 伊藤 喜幸(いとうよしゆき)さん~
震災直後は、1年くらいで次々と人が替わったので、瀧さんが来た時も、「まだ替わったのが」と思いました。
普通、職員と仕事以外での交流はないんですが、瀧さんは違いましたね。瀧さんは地区の草刈りをはじめ、こいのぼりや毘沙門様のお祭、おはじきのアートなど、いつも地区の行事に参加してくれました。
しかも、参加するだけでなく、準備から片づけまで手伝ってくれるので、私は準備で新たに参加した代ヶ崎浜の人には「瀧さんは代ヶ崎の人だから、大いに使ってください」と紹介していました。
土地区画整理については、初め我々はそれがどういうものなのかさえわからず、土地が減り、損をすることばかり考えていました。
気心が知れてくると、率直に疑問をぶつけたり、相談したりするようになり、こういったつながりが、説明会や交渉ごととか仕事の上でも役立ったんではないかな。
人のつながりは大切だね。いるのが当たり前のようで、寂しいねぇ。みんな寂しがるなあ。